10月29日(水)23時08分
昨日の「新現役ネット」の大阪大会は、
コーディネーターの私が言うのもおかしな話だが、
とてもいい会だったように思う。
ゲストは森本哲郎さんと木村政雄さんだったのだが、
森本さんからは日本語の特色と日本語の変化の歴史について、
木村さんからは関西弁の魅力と威力について、
いずれも奥の深い楽しいお話だった。
森本さんは森本毅郎さんのお兄さんで、
一時期兄弟が同時にキャスターを努めていたこともあり、
(別々の放送局ではあったが、日本で初めて兄弟同時キャスターとして騒がれた)
言葉に対してはただ評論するのではなく、
表現者でもあったというだけあって,
説得力のあるお話だったし、
木村さんは元々言葉をキャッチする能力に長けていらっしゃるだけに、
インパクトのあるお話だった。
森本さんは,日本語が外来語化することに対して、
かつて奈良時代に漢語が入って来て日本語が変質したのはいいとして、
昨今のカタカナ語の氾濫は許せないらしかった。
「カタカナで書くことによって、本当は解っていないことでも、
解ったふうにやり過ごしてしまうのがいけない。
言葉が過剰に記号化されていっているために、
日本語がどんどん痩せ細っていくのが耐えられない。
最近はちゃんとした新聞にまで、
よく解らない記号のようなカタカナ語が氾濫していて、
目も当てられない。
『DV』と書いて、その後に(ドメスティック・バイオレンス)と説明をするなら、
最初から素直に『家庭内暴力』と書けばいいし、
『モラルハザード』というより、
『道徳が危機に瀕している』と言えばいいのだし、
『ハザードマップ』などと言わずに、
『災害予想図』と言ったほうがみんなに伝わるでしょう!」
と、おっしゃるのだが、
会場の観客の大半が60代後半から70代の人たちだったため、
今まではっきりとは解らないでいた「カタカナ語」の意味を、
森本さんが憤怒混じりとは言え、正しく解説して下さったことで、
初めて「DV」や「ハザード」の意味が解ったという人が、
多かったのは皮肉なことだった。
「言葉は民族なり」と言われるように、
その時その国の人々の思考や行動を反映させているわけだから、
今日本語が乱れているとしたら、
この時代の日本人の心が乱れているということになるのだが、
このところのこの国を見ていると、
言語の変質(乱れ)をはるかに上回る、
人間の変質(乱れ)のほうが先を行っているような気がする。
お二人のお話を聞きながら、
日頃無意識に使っている自分の言葉について、
考えさせられたひとときだった。
それにつけても、
時々は年長の識者のお話は聞かなければならないと思った。














































森本さんの意見に同感です。
「言葉は生き物」と言って容認する動きもありますが、日本語の本来の美しさを知った上で使う分にはよいのですが、最初から「略語」「記号化」してしまうのはいかがなものか…?
と思っております。
そんな森本さんのお話を拝聴したかったです。
この頃、漢数字を使うように心がけています。何となくですが。カタカナも避けられれば避けたいですし、漢語も置き換えられるものは大和言葉にしたいと思います。カタカナが多いと軽々しいように思え、漢語が多いと偉そうに感じます。
「日本語の変化の歴史」(森本氏)と「関西弁の魅力と威力」(木村氏)となると、ホント、興味深いお話ですね。お聞きしたかったです。
日本語は「変化」と「多様性」に富んだ言語であり、そこが「魅力」であり「威力」であると、私も思います。奈良時代に漢字を取り入れ、かなやカナに発展させた日本語は、明治以降には西欧的概念をも取り込み、まさに豊穣、沖縄的にいえばチャンプルー言語の最たるものといえるのではないでしょうか。
指摘されているような日本語の現状が、良いとは決して思いません。それは、物事を本質的に表現することを避け、曖昧にすますという日本人の悪い癖です。
でも、「美しい日本語」がもしあるとすれば、それは加藤周一が指摘しているような「雑種文化」としての日本語ではないでしょうか。純粋なものばかりが美しいとは限りませんよ~