10月3日(金)23時35分
最近「きょうだい」って、何なんだろう。
私の場合は姉弟、つまり弟がいるのだが、
同じ東京に住んでいるというのに、
めったに会うこともない。
喧嘩しているわけでもないし、仲が悪いわけでもない。
母が私と一緒にいるので、母の安否確認の電話はあるし、
年に数回は母に会いに来ることもある。
父の法事にも夫婦で参列するし、
息子の演奏会に来てくれることもある。
しかし、昔のような関係ではない。
もちろん、弟には家庭があるのだから、
昔と同じだったらかえって変なのだが、
でも何というか.........、
年々距離感が開いていく感じがするのである。
家が貧しかったせいもあるが、
小さい頃は肩を寄せ合って生きていたようなところがあった。
少ないおやつも分け合ったし、
一つしかない物は年少の弟が取るのが当然だと思っていた。
短大時代、アルバイトでお金が入ると、
弟の洋服を買うのが楽しみだったし、
私が就職をしてからは、同じアパートに住み、
弟の友人たちのおさんどんとなって、
ドカ飯作りに勤しんだ。
やがて私が結婚のためアパートを出て、
その何年か後、弟も結婚して、
私たちは二度と同じ空間で眠ることはなかった。
父が生きていた頃は、
弟夫婦を誘って家族旅行のまね事もしたが、
両親と弟夫婦と私と息子の3室に分かれて眠った。
少し前、この欄にも書いたが、
親友の妹が突然亡くなった。
せめて葬儀の時にお花をお供えしたいと思ったのだが、
万事に慎ましやかな親友は、
葬儀の日取りを教えてはくれなかった。
全てが終わった日、私は高野山にいた。
宿坊から電話を入れて、お悔やみを言いながら、
「明日の朝のお勤めの時、サチヨちゃんのご供養をしたいのだけれど、いい?」
と、聞いてみた。
「差し出がましいかな」とも思ったのだが、
何もしないではいられなかったのである。
そして届いた手紙。
「高野山で一ヶ月も妹の供養をしていただけるなんて、
思ってもいないことでした。
何よりも嬉しくて、母と涙が止まりませんでした。
妹のお骨は昼間は誰もいないマンションでひとりぽっちです。
嵐のような十日間が過ぎて、家でゆっくりする時間が出来ると、
心の中にポッカリとあいた穴はますます大きくなるようで、寂しいです。
ちょっと長く生きているとこんなこともあるのだなと、
そして、生きていく上で大事なこととそうでないことがはっきりしてきたこと、
妹があちらで待っていると思うと自分の死が怖くなくなったことなど、
一ヶ月前の私には考えられなかったことばかりです.........」
姉妹だからなのか、元々二人はこういう関係性だったのか、
どちらにせよ「あたたかくていいなぁ」と思う。
今ではあっさりした仲の我が弟だが、
いつまでも元気でいて欲しいと、
少なくとも今日は心から祈った。
今日、10月3日は弟の56歳の誕生日、
留守電に入れた私のお祝いメッセージは聞いたのだろうか。














































先週の楽市の放送を聞いていましたら、フォークのあの泉谷しげるさんを「しげるちゃん」と気軽に呼んでいましたが、実際の泉谷さんとは面識はあるのでしょうか?
もし感想等ありましたら宜しくお願いします。
オトコとオンナの兄弟ですと、それぞれの家庭をもつと「家庭優先」になるみたいですよ。