11月1日(土)23時55分
今日の「どよう楽市」のゲストにお呼びしたのが、
「母が重くてたまらない」の作者・信田さよ子さんだったことが、
どこかで影響したのかもしれないのだが、
(忙し過ぎて、最近母に全く優しくしていなかったのが、
気になっていたのだ)
今夜は母と一緒に食事をしたいと思った。
私の母は、
私たち子供のことをとても大事にはしてくれたが、
それよりも先ずは「自分自身がどう生きるかが大事」
という人間なのだが、
今思えば、
そのお蔭で私も弟も随分救われたと思う。
私が物心ついた頃から、
母は「自分が自分として生きていきたい」と切望していた。
後年聞いたところでは、
国鉄労組の闘志家として活動した後、
佐多稲子さんを師と仰いで新日本文学会に入り、
作家をめざしていたようだ。
92歳の現在でも、
「今も毎日世に出るために頑張っているのよ」と言い、
資料収集をしてスクラップしたり、
時に新聞や雑誌に投稿したりしながら、
母なりに頑張っている。
そんな母だから、
私にとっては母は少しも重い存在ではなかった。
それどころか、子供以外に関心事があったせいで、
私たちとはいい距離を保ち、
伸び伸びと育ててくれた。
母は近年、魚は食べたくないらしく、
肉を出すと大喜びで平らげるのだが、
それを他人に指摘されると断固否定する。
どうやら母は「満腹」と「肉」の前では、
屈服したくないらしく、
「お肉、好きでしょ?」と聞かれると、
「ううん、最近肉は苦手だわ」と言うし、
「いっぱい食べられて良かったね」と聞かれると、
「そんなに食べていないわ。食欲がないもの」と、
答えるのである。
戦争を体験しているせいか、
「満たされていること」と、
己れの「欲望について言及されること」をとても嫌うのである。
だから今日の夕食では、
そこに最大限に気を使い、
「お肉、好きよね」などとは決して言わず、
「いっぱい食べたわね」とも絶対に言わず、
ただひたすら私が焼き肉を食べたいので、
「つき合って欲しくて」という感じでいたのである。
母は、
「こうして焼きながら食べると美味しいわね」
と何度も言いながら、
私が食べた量の倍以上の肉を食べた。
二人で手を繋いで表参道を歩きながら、
「世の中は大変だけど、だからこそしっかりしたヴィジョンを持って生きなきゃね」と、母は言った。
「ヴィジョン」などという言葉をどこで「採取」したのか判らないが、
私も母の言葉に素直に頷いていた。














































残間さんのお母様への思いが心に沁みました。
いつか私も母が長生きしてくれたら手をつないで歩いてみたいです。
母の力は素晴らしいものですね。私は仕事がら、辛い家庭のお話を伺うことも多いんですが、虐待をする母親にも、子は母として慕い、すがって離れようとしないと聞きます。
60才になっても、いつまで経っても母に求めるものは変わらないようにも思えます。will be a good motherですね。母性的な人にはどうも弱いですね。男性諸兄の皆様がたいかがですか?