四十年前、私は.........。

icon_zamma.jpg11月30日(日)23時33分

日曜日には珍しく、
午前中の早い時間から講演の仕事があった。
母校である明治大学の父母交流会から招かれ、
拙き話をさせていただいたのである。

久しぶりに訪れる神田駿河台の母校は、
かつて私が通っていた頃の面影はなく、
近代的なキャンパスに様変わりしていた。

昔、学生会館があったところは、
公開空地になっていて、
あの懐かしい建物は影も形もなかった。

かつての学生会館は、
壁のあちこちが剥げ落ちた見るからに古めかしい、
しかしそれなりに風情のある建物だった。
(イメージは朽ちかけた「ホンティッドマンション」という感じ)

建物の中はクラブ活動の部室がひしめき、
朝から夜中まで学生たちがたむろしていた。
やがて全共闘運動が激しくなった頃には、
閉鎖されて、立ち入り禁止になったのだが、
私が所属していた「放送文化研究会」の部室もそこにあったので、
閉鎖されるまでは毎日のように通っていた。

会館にはエレベーターなどあるはずもなく、
石造りの階段で昇り降りをしていた。
部室から御茶ノ水の通りに出るのに一番便利な階段は、
今考えれば、多分補助階段か何かだったのだと思うが、
ものすごい急傾斜の、
人一人がやっと通れるくらいの細い階段だった。

入部して数日経ったある日、
憧れていた先輩の後ろに続いてその階段を降りていた私は、
二階から一階まで派手に転がり落ちた。
目が悪いので階段は苦手だったのだが、
気になっていた先輩がその階段をよく利用していたので、
もしかしたら会えるかも知れないと思って、
私もその階段を使ったいたのだった、

「先輩に続いて降りた」と言っても、
先輩に気づかれるほど近距離ではなかったので、
ぶざまな姿は見られないですんだのだが、
あまりの痛さにしばらくは立ち上がれないでいた。

会館の管理人のおじさんに、
近くの病院に連れて行ってもらい、
「ひどい捻挫ではあるが骨折はしていない」と診断され、
連絡を受けて病院に駆けつけてくれた友人に付き添われて、
何とかバスで帰宅した。
(あの頃、学生はタクシーに乗るなんて考えられなかったのだ)

あの憧れの先輩は今年2月に還暦を迎えたはず。
今ごろどこで何をしているのだろう。


午後3時からは「日経おとなのバンド大賞」の全国大会を観に、
品川のステラボールに行った。
全国各地のアマチュアバンド622が応募してきた中から、
81バンドが各地の予選会に進出、
全国大会にはその中から12のバンドが参加していた。

集まったバンドはバラエティーに富み、
白髪のロックンローラーもいれば、
ホットパンツ姿の主婦ボーカリストもいれば、
母親が再婚した相手(つまり義父)と仲良く演奏する青年もいた。

演奏曲もオリジナルの楽曲の方が多く、
ジャンルが多岐にわたっていたので、
「審査は難しかった」と、
審査員の加藤和彦さんが言っていたが、
いずれにしても、音楽の質は高く、
十分鑑賞に堪えうるものだった。

グランプリに輝いたのは、
「ブラックボード」(「黒板』という意味)というロックバンド。
黒のTシャツにピンクの光りもの衣装を来たバンドリーダーは
55歳の公立中学校の校長先生。(ドラムス・ヴォーカル担当)

他のメンバーも、全員が学校の先生だったのである。
この日演奏した「お説教」というオリジナル曲は、
矢沢永吉的な匂いのする曲で、
時々校内放送でも流しているのだという。

ベースギター担当の小学校の先生は校長先生の弟。
ギター、キーボード、ヴォーカルを担当しているのは中学校の先生。
圧巻は、スキンヘッドにハデハデなどてらのような衣装で登場した、
町を歩いていたらある筋の人に見えてしまう強面メインヴォーカリスト。
彼は中学校で生活指導主任をしているのだという。

「生徒たちの反応は?』と聞かれた校長先生は、
「『ありえねぇ!』の一言ですね」
「親御さんは何て言っていますか」という質問には、
「今日はPTA会長も応援に来てくれています」と、
少しのハシャギもなく答えていた。
(ボソボソっとした校長の口調も感じが良かった)

生活指導のコワモテ先生も、
「僕がこういう感じなので、悪い子はいません」
と言ったあとで、
「子供はどんな子でも可愛いですよ。本当に可愛いです!」と、
力強く言い切った姿は実にカッコよかった。

先生も人の子。
好きなことを一生懸命やっている姿、
大人が自分の人生を生き切っている姿は、
子供たちに、何かを感じさせることだろう。
「こんな先生たちがいる学校はきっと楽しいだろうな」
素直にそう思えた。

「フーム、バンドも面白そうだなぁ」
と呟いた私に、同行のナカヤマは、
「あなた、昔バンドのヴォーカルやっていたじゃない!
そうそう、学生会館の小部屋でよく練習してたわね」
と、言ったのだった。

憧れの先輩がリードギター、
先輩の親友で、タイガースのトッポに似ていた、
これまた素敵な人がサイドギター、
ナカヤマが密かに憧れていた人は、確かドラムスだった。

トッポに似た人は、数年前、
癌で亡くなったと、風の便りに聞いた。

学生会館と大人バンド。
四十年前に還った秋の一日、
真面目にバンド結成を考えてみようかしら。

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コメント(4)

仙台出身と紹介され驚きました、私も仙台で愛宕橋の近くに住んでおりました。
30日早い時間から?、明治大の父母会でのスピーチ御苦労さまでした。
時間があっと言う間に過ぎてしまいました。蒸気機関車の様に
(女性には失礼な表現かもしれませんが、お許し下さい)社会に、そして人生の生き甲斐を広めようとされておられる事の
関心と共鳴させて頂きました。
いつも遅くまでお仕事をされており、何をするにしても健康が第一です。今後とも全力で走ってください。了
追記)クラブウイルビーに入会させていただくつもりです。

はじめまして、家庭教師に出向く傍ら、毎週土曜日には某ラジオを拝聴しています。

家庭教師をしておりますと、子どもと教師のかかわりあいについて考える機会が多いです。
記事中に強面の生活指導教諭の発言がありますが、そのように言い切れる教師が、今の世にどれだけいるのでしょう。

私が担当している子どもたちも千差万別です。
何かにつけ先を読み、与えられた課題をそつなくこなす優等生もいれば、学校の授業を聞かずに帰ってきて、講義の最中に居眠りを始める子もいます。

しかしながら、腹を割って話をしてみますと、どのような子にも純粋なこころが眠っていると知り、私は安堵します。

要するに、同じ土俵に立って想いを共有し、共感し、つねに愛を忘れずに接すれば、子どもたちは陽光を浴びた若芽のように伸びてくれるのだなと思うのです。

では、失礼しました。

何気なくチャンネルをシークさせていたら
公共放送で話しかけている女性の話す内容に
つい引きつられて終わりまで聞いてしまった。

確かに後の時間がない。
行動を起こすつもりで、アイデアプロにランダムに
思い浮かんだ事柄を書き出してみた。
所が自分では書ききれないほどあると思っていたつもりが
非常に少ない。愕然とした。

一人の生活の予行演習もそれなりに出来ている。
(のつもり)
クラブの趣旨には共感できるが、シニアの年代の
何%の人達に心と生活と環境の安定を持って先を
見つめられるだろうかと思う。

前略 マスコミでの歯切れのよいコメント、ご活躍を機会ある時に、視聴しております。文化放送でクラブウイルビーの活動を知りました。当方、30年前、子供の通う道場が廃業、臨時に合気道(老若男女50~60名)の道場(奉仕活動、50畳)自宅を改修して、経費を工面しながら今日に至っております。建築士の偽装問題を始め、ご承知の通りの厳しい環境の中、2年前まで零細の建築工事業を営んでおりました。個人での支援にも限界があり、暮れに自宅前120坪の土地を市が公募入札したので、道場移転の融資の支援を申請しました。事業化に向けた改修計画提案を関係行政に相談、取引金融機関にも打診してきました。駅前、繁華街でないから事業として厳しい(貸し渋り)との事。先週の日本政策金融公庫の担当課長の弁には驚きました。道場の事業化には問題ないが、融資の条件は現事業の債務を清算してからでないと規定で受付の対象にならない。現状では返済は70年かかるし無理でしょう!!ですって。25年以上コミュニティー活動をして、98年以来、構造不況で厳しい環境に晒され耐えてきました。議員の先生方は国会答弁ではセーフティネットを高らかに謡いながら、現実は再生のチャンスを与えない環境が現状です。支援の無いいま、汗を流して稽古をしている武道家の卵たちの環境を整え、秩序ある社会の回復に継続を願っていますが、年金頼りになった当方、気合だけでは現状を打開するのに少し弱気になりそうです。残間さんの気合いに肖りたいです。今後ともご活躍を・・・・以上

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フォトアルバム

5月16日(水)

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開業間近の「東京スカイツリー」を見上げる。

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江戸の四季をモチーフにしたというエレベーターの内装。

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真新しいユニフォームを着たスタッフ。

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340mの高さから下を覗く。

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地上451.2mから眺める景色。

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最高到達地点「ソラカラポイント」にて1枚。



5月11日(金)

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打ち上げ会場での「虎姫一座」



5月8日(火)

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昭和のスターたちを支えた「花やしき少女歌劇団」(小・中学生の少女たちで結成された)

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浅草のランドマーク「浅草公会堂」



5月6日(日)

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手足とも緑色に。



5月5日(土)

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手際よく芝の手入れをする学生。

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雄大な八ヶ岳連峰を仰ぐ。

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花の直売店。

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熱気球体験も人気。

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野菜の直売所(他に乳製品の直売所もある)

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「諏訪大社御柱祭」で曳行されたご神木。



5月3日(木)

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2キロの蕗の皮。

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虎姫一座+サエラの「公会堂で逢いましょうin浅草」稽古風景(5月11日18:30より浅草公会堂で開催)

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熱心に指導をする大里プロデューサー。



4月30日(月)

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港区コミュニティバス「ちぃばす」初体験。



4月29日(日)

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法話室にて、僧侶と。



4月21日(土)

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神楽坂・毘沙門天で、しめやかに営まれた。

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品川駅近くで見つけた、名残の桜。その1

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その2



4月18日(水)

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1986年に公開を始めた「窯のある広場・資料館」

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施設を案内してくださった、辻館長。



4月15日(日)

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初めて搭乗した「スターフライヤー」

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楽屋を訪ねてくださった、田島元通さんのお父さんと。

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「いろはクラブ」のみなさんが楽屋に用意してくれた、郷土のお菓子と柏餅。



4月7日(土)

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茅山荘の坐禅会。インド、ブラジルから帰ったばかりの藤田一照さん。

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お花見をするニシダさんと母。



4月6日(金)

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加賀乙彦先生とツーショット。

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willbeメンバーに囲まれた加賀先生。



4月4日(水)

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試食会で、ファミマスタッフと。手の中には、秘密のデザート(5月中旬発売予定)



4月3日(火)

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霞ヶ関ビル1階に飾られていた、桜の生け花。



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書籍情報

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1,470円

プロフィール

残間 里江子【プロデューサー】

1950年仙台市生まれ。アナウンサー、編集者などを経て、企画制作会社を設立。 プロデューサーとして出版、映像、文化イベントなどを多数手がける。著書多数。