4月1日(水)25時08分
「club willbe」へのご協賛企業への報告行の2日目。
咳は少し落ち着いてきた。
今日は伊藤忠商事の関連企業である、
オリエントコーポレーションの塩見副社長と、
KDDIの小野寺社長をお訪ねした。
オリコの塩見さんは、
伊藤忠時代から折りにふれ、
私の仕事について的確な助言をしてくれている方だ。
今日も報告を終えて、この先の展望に話が及ぶと、
「club willbe」が1日も早く自立するためには、
この時点で見えてきたものを再整理し、
どこにどのような可能性があるのかを、
改めて確認しておいたほうがいいので、
近々私のスタッフをまじえて、
検討会をしようと言ってくれたのだった。
KDDIの小野寺さんは、
昨日お会いしたJR東日本の清野さんと同じ仙台出身なのだが、
私とナカヤマが待つ応接室に入ってくるなり、
「昨日、清野から電話が来たよ。会ったんだってね」と、
自ら打ち解けた雰囲気を作ってくれたので、
とても話がしやすくなり、
一応の報告が済むと、
その先は幼なじみ同士の話みたいに寛いだものとなった。
夕方からは、
二十数年前、私が雑誌の編集長時代に、
主に政治の世界についてアドバイスをしてくれていた、
「インサイドライン」の歳川隆雄さんにお会いした。
これは、先日この欄でもご紹介した、
椎名誠さんの「ウ・リーグ10周年記念イベント」の会場で、
バッタリ会ったフォトジャーナリストの山本皓一さんが、
「今度、歳ちゃんと3人で会おうよ」とセットしてくれたものだ。
この間テレビでコメントをしている歳川さんの姿は観ていたし、
偶然レストランですれ違ったこともあったのだが、
話らしい話をするのは約25年ぶりだ。
歳川さんは1947年生まれの団塊世代。
当時既にジャーナリストとして、
生きることを決めていた歳川さんではあったが、
その先の道筋がはっきりとは定まっていなかった。
私も雑誌編集長にはなったが、
そのまま編集者として生きていこうとは思っていなかった。
言わば「不安定な時代」をともに過ごした仲間として、
歳川さんとは一度ゆっくり話したいと思っていたのだった。
かつて雑誌小僧たちが闊歩していた神田神保町で、
私たちは昔を総括し、今を憂い、未来の可能性を語り合った。
気がつくと3時間半が過ぎていた。
土砂降りの雨の中、
3人は神保町交差点を3方向に分かれて疾駆した。
私はともかく、
2人の背中には青春の残像が息づいていた。














































俺はauの携帯端末を使っているので、KDDIの小野寺正社長の名前が残間里江子さんのプログに登場したので
親しみを感じました。
ただおより。