3月8日(月)24時57分
今、このブログを書いているのは、
青森県むつ市のホテルの一室。
17時25分羽田発の飛行機に乗って、
三沢空港に着き、そこから車で約2時間、
むつ市に到着したのは21時過ぎだった。
この時間、
ホテルのレストランは全て終わっており、
仕方ないので迎えに来てくれた県の担当者と、
11階のラウンジで、
サラダとソーセージの盛り合わせを食べて、
今日の夕食は終わり。
道中、下北のウニは日本一だとか、
下北のホタテを食べたら、
他の土地のホタテは食べられないとか、
この土地の食材が如何に美味しいかを、
さんざん聞かされたので、
私の胃腸はすっかり「海鮮」を待つ態勢になっていたのだが、
昨今のお腹周りを考えると、
これはこれで「光明」なのかもしれないと思い直し、
明日の朝食を待つことにした。
ところで今日は、
ここに来る前にちょっといいことがあった。
16、7年前から時々お世話になっている、
タクシーの運転手さんが、
めでたく個人タクシーの免許を取得し、
私を会社から羽田まで送ってくれたのである。
当初は3月5日からの営業開始ということだったのが、
無線の取り付けや書類の届け出作業など、
準備がもろもろあって、
実質的な営業開始は、
大安の今日からになったということで、
私は3番目の客ということだった。
父と二人で横浜に住んでいた母が、
我が家に遊びに来た時、
帰途、横浜まで送って行って貰ったのが始まりで、
母が横浜を離れてからも、
羽田、成田など少し遠いところに出かける時には、
お願いしていたのである。
平均すると、
年に数回会うだけなのだが、
1回の乗車時間が長かったこともあって、
いつしか運転手さんの私的な側面をも知るところとなった。
遅い結婚をした時には、
新妻の我がままが「何とも可愛らしいんですよ」と聞かされたし、
新婚旅行から帰った後で乗った時には、
母と私に二人で選んだというお土産をいただいたりもした。
しばらく妻の話を聞かなくなったと思ったら、
「実は離婚したんですよ」と、
沈んだ声での「事後報告」も聞いたし、
非番の日にオートバイに当てられて怪我をした時には、
ささやかなお見舞いの花を届ける程度の距離感で、
付き合っていたのである。
4年ほど前には、
あと何日か後に個人タクシーになるための試験を受けるという時、
黄色信号で渡ったつもりの交差点で、
たまたま通りかかった警官に「赤信号だった」と断定され,
試験を受ける権利がなくなるという不運もあったのだが、
その後勉強をし直して、
昨年試験に合格し、権利を取得したのだという。
会社の前まで来てくれた車は、
普通の個人タクシーではなく、
「これが夢だったんですよ」という、
黒一色のクラウン・マジェスタだった。
カフスをつけたシャツと、
ダークブラウンのスーツ姿も決まっている。
「お客さんには、
ハイヤーのように乗って欲しいと思って、
ハイヤー仕様にしているんですよ。
そこのボタンを押すと、リクライニングにもなりますよ。
不思議なものですね。
車のローンを払えるのかというような、
心配事も無いではないんですが、
この車に乗ってからは、心なしか接客も丁寧になりましてね。
自然に敬語が出てくるんですよ。
今度は残間さんのお母さんをお乗せしたいなぁ。
病院でもどこでも行きますから、
お母さんにもよろしくお伝えください。
お母さんには横浜まで帰るとき、愚痴やら何やら、
いろいろ話を聞いていただきましたからねぇ。
本当は真っ先に乗っていただきたかったんですよ」
過日ベッドからの転落で作った頭の瘤が、
「もう少し引っ込んだら乗せていただきますね」と、
約束をして、羽田空港で下車した。
後ろを振り返ると、
とても晴れやかな顔で、手を振っている。
天気予報では、
今夜から再び寒波が日本列島を覆うということだが、
彼には既に春が到来しているようだった。
私はと言えば、
静かになると「グーグー」泣き出す空腹虫を、
必死に押さえ込みながら、
一人淋しく降る雪を眺めている。





























いやはやなんとも
オイラが送迎担当者なら、飛行機の到着時間から類推するに、
夕食はどうするかもスケジュールのうちと考える。
人は食べるために生きているとまでは言わないが、
食べることの執着は、生きることの証と思っている。
だがしかし、担当者の実情も察することが出来る。
三沢から六ヶ所村を抜け、むつへ向かう道ならば、
「食事処」がないのである。
夕刻で降りしきる雪では、車窓を楽しむことも出来なかったであろうが、
どこの田舎とも違う、
「日本の原風景」がそこにはある。
夜ともなると、きっと漆黒の闇が支配するであろうその空間は、想像するだに「旅行者」の不安を煽るに充分なのである。
従って、一刻も早く光輝くむつの街へと車を走らせる気持ちは分かる。
それはそれ、
あの長~い移動時間に名物のウニやホタテの話を聞かされたようなので、(夕食を)期待しない方がおかしい。
ラウンジでの「光明」と悟る余裕は、オイラなら持てない。
オイラは名物にとても弱いので、
昨秋「ホタテ丼」を注文したところ、
出てきたのはカツ丼のホタテバージョンというもの。
「エッ!」とびっくりして写真付きのメニューをすぐさま確認したところ、
オイラが頼んだつもりのホタテ丼は、
正式には「活ホタテ丼」としっかり書いてあった。
そういえば、注文した時「ホタテ丼」ですね!と念を押されていたのである。
自分の思い込みで注文した手前文句も言えず、
まあいっか~、おいしそ~、とパクツクと、
これが美味しいのなんの、大正解だったのである。(怪我の功名)
食い意地の張ったオイラのこと、
これに味を占め、さぞかし美味しかろうと、
一ヵ月後、休日1000円の高速道路を利用し、
「活ホタテ丼」に再チャレンジしたのである。
結果?
どこででも食べられる味であった。
(因みに、下北の生「雲丹」は、春から夏が旬なので、
どのみち雲をつかむ話だったんでしょうね。)
さらに、食への果てしない欲望は、
オイラを大間のマグロへと駆り立てていった。
だって名称がすごい。
「大間超マグロ祭り」!!!
期待しない方がおかしい。
オイラも近くの町と思っていたが、
意外や意外、とんでもなく遠い町だった。
(とくに帰り道は遠かった!)
瀬戸内海から陸奥湾へ。
確かに、海は続いている。
タクシーの運転手さんとの出会いは「横浜」からとのこと。
春になると日本一の菜の花畑が広がるここ「横浜」へ誘ったのも、何かが続いている。
オイラの掘っ立て小屋の前から続くこの道も、
その気になれば、どこにだって続いている。
その気になりさえすれば、何かに続いているはず・・・