5月1日(土)25時07分
ゴールデンウィーク初日。
朝、NHKに行く為に外に出ると、
旅行鞄やキャリーバッグを持った人たちが、
地下鉄の入り口に入って行った。
みんな連れがいないせいか(一人ずつなので)
あまり嬉しそうな顔はしていないが、
(日本人は一人でにこやかな顔をするのは苦手ですものね)
それでも歩みの中に「弾み」がついている感じがした。
NHKはいつも通りの土曜日で、
館内の照明は半分程度消灯され、
人の姿もまばら、
ここには「大型連休」のウキウキ感は皆無だ。
(NHKでは「ゴールデンウィーク」と言ってはいけない)
それでも「どよう楽市」のスタジオは、
リスナーから入ってくる生の情報が、
旅先からだったり、
渋滞中の車の中からだったりするので、
それらを繋いで放送しているうちに、
旅心が誘われ、
何とはなしの解放感が漂って来るのだった。
反省会を終えて家に帰り、
息子と待ち合わせをして、
1ヶ月ほど前に亡くなった、
息子の友人のお母さんにお線香をあげに伺った。
訃報を聞いたのは、
母と和倉温泉にいた時で、
すぐ息子さんに電話を入れて話をしたのだが、
お母さんの遺言で、
ご親戚だけの密葬にしたいということで、
ご葬儀に伺うことが出来なかったのである。
今はお母さんの看病のために、
早めの退職をしたお父さんと息子さんとの、
二人暮らしなのだが、
ようやく父と息子の生活にも慣れたとのことで、
伺うことが出来たのである。
玄関の前はきれいに掃き清められ、
打ち水までしてあったし、
傍らの小手毬の鉢植えも活き活きとしているのを見て、
「あゝ、日常が戻って来たのだな」と感じた。
「胆管癌だったのですが、
自分で全部解っていて、
葬儀のことから何から全てを自分で決めて、
大事なことは手紙にしたためて、
逝ってしまいました.........」
と、語るお父さんのそばで、
「凄く苦しかったはずなのに、
僕が学校の行事で外国に行かなければならない朝、
病院から出て家に戻って、
腹水も溜まっていたのに、
おにぎりを握って持たせてくれたんです。
帰るまでは無理だろうと言われていたのに、
僕が帰ると何事もなかったかのように、
『あらっ、帰ってきたのね』と言って、
それから間もなく亡くなったんです」
と、息子さんは涙をこぼしていた。
帰り道、
いつになく神妙な顔をしている息子に向かって、
「あなたも私が生きていればこそなのだから、
もう少し大事にしてよね。
私はATMではないんだから、
病気にもなるし、倒れもするのよ」と、
言ってやったら、
「まぁ、あなたは大丈夫でしょ。
『憎まれっ子、世にはばかる』って言うからね。
100歳まではいけるでしょう。
.........あいつのお母さんは優しかったからなぁ」
と、しみじみ言うのだった。
(この憎まれ口は、
やはり私のDNAなのだろうか)
夕方からは、
世田谷区の「北沢タウンホール」で開催された、
「江戸むらさき単独ライブ~(S)tripper」に、
「どよう楽市」のスタッフたちと出かけた。
この4月から江戸むらさきは、
「どよう楽市」には出なくなったのだが、
(今は NHKテレビ「土曜スタジオパーク」に生出演している)
ライブ活動が増えているようで、
観に行くたびに「いい味」を出しているように思う。
今日も、ショートコントと映像のバランスがよく、
あっという間の2時間だった。
江戸むらさきと一緒に「どよう楽市」に出ていた、
トビーこと飛岡宏年さんも来ていたので、
NHKの若きスタッフ漣を誘って、
下北沢の居酒屋で「1杯」(いっぱい)、
飲(や)った。
私以外の平均年齢29.5歳。
恋の話、結婚の話と、
夢に満ちた話ばかりで、
みんなの話を聞いているだけで楽しい。
(恋や結婚が夢とは無縁の世界にも繋がっている、
ということは、まだ解らない年だものね)
23時過ぎ。
「僕ら、次に行きます!」という若者たちと別れ、
独り小田急線・千代田線を乗り継いで帰宅した。
こんな時間にほろ酔い気分で電車に乗るなんて、
何年ぶりのことだろう。
フフフ、何だかとても解放された気分。
この連休はこんな風にほろ酔い気分で、
ダラダラいこうかな。














































いいですね〜ダラダラも〜
私も朝早く会社、帰りも夜中、この連休は予定もなく、今年は団地の役員になっても、平日何もお手伝いも出来ないので、この連休はゴミ出し後の掃除等をやります。地域との繋がりも大事ですもんね。そして会社に出たくなる程、トド状態になります。