6月29日(火)25時03分
原稿書きなどで、
大して動きもせずに疲労するのは、
そう辛くはないのだが、
身体を動かし、
体力を消耗して疲労することが、
こんなに辛いとは.........。
日頃の鍛練の足りなさを痛感した。
しかし、
この単純(純粋?)とも言うべき、
疲労感は、
いつもより2時間増しの睡眠によって、
あっさり消え去り、
今更ながらではあるが、
睡眠の威力をも思い知った。
13時半からは、
「皇室の20世紀」のインタビューで、
ノーベル物理学賞を受賞した、
東大名誉教授の小柴昌俊さんにお会いした。
今年84歳の小柴さんだが、
とてもお元気で、
お話は論理的な上に機知に富み、
私の頭では到底解るはずのない素粒子や、
ニュートリノやカミオカンデが、
小柴さんが説明下さると、
解ったような気になるのが不思議だった。
インタビュー終了後、
小柴さんから「これも何かの縁だから、
一緒に写真を撮りましょう」と言っていただき、
同行の美人カメラウーマン田中さんに撮って貰った、
記念の2ショット写真は、
我が家のお宝にしようと思う。
夕方からは、
NODA・MAPの「ザ・キャラクター」を観に、
東京芸術劇場へ行った。
野田作品は1976年に駒場小劇場で旗揚げされた、
野田主宰の劇団「夢の遊眠社」の、
「咲かぬ咲かんの桜吹雪は咲き行くほどに」から今日まで、
全作観ているというのが私の密かな自慢なのだが、
そう考えると、
あれから既に35年が経っているわけだ。
駒場小劇場は東大駒場キャンパスの中の、
食堂を改造して作られた劇場なのだが、
私の中に残っている印象では、
食堂の脇の広場の横に立つ、
粗末な小屋のようなイメージだった。
(「食堂」という言葉は記憶にあるのだが、
あれが食堂そのものだとは思わなかった)
5月の公演だったのだが、
雨がしとしと降っていて広場がぬかるみ、
ジーンズにハネが上がるのが気になったのを思い出す。
その後「夢の遊眠社」は、
VAN99ホールから紀伊国屋ホール、
本多劇場へと上演場所が変わり、
1986年に国立代々木競技場体育館で上演された時には、
(結成10周年記念公演で、3部作一挙上演されたのである)
「小劇場の旗手」としてリスペクトしていた、
ファンの一部は落胆し、
去って行ったような気がする。
私はこの公演が大手広告代理店も絡んで、
一過性のイベントのように開催されたので、
これはこれであるべき姿だろうと思ったので、
さほど驚かなかったのだが、
1ヶ月後に上演された東宝特別公演「野田秀樹の十二夜」が、
日生劇場で上演された時はショックだった。
後から考えれば、
この頃から野田は海外公演が視野にあったようで、
翌年エジンバラの国際芸術祭に参加したりもするのだが、
日生劇場のまばゆい空間で「夢の遊眠社」を観た瞬間、
ぬかるみの駒場小劇場がどんどん遠ざかるようで、
淋しかったのである。
「ザ・キャラクター」は、
野田秀樹が東京芸術劇場の芸術監督に就任して2作目の作品で、
宮沢りえと橋爪功の好演でいい仕上がりになっていたが、
野田の作・演出は既に、
「余裕の境地」に入っていて隙がなく、
35年のキャリアが存分に発揮されてはいたが、
同時に、野田少年が抱えていた不安や焦燥、
狂気の俤は見当たらず、
見果てぬ夢とは知りながら、
やはりちょっと淋しかった。
公演パンフレットの中に、
野田秀樹と隈研吾が劇場空間について対談している記事が、
掲載されているのを見て、
二人を初めて引き合わせた十数年前を思い出し、
彼らのここまでの「足跡」に私の「今」を重ね、
さらに十数年後の3人の「未来」を想った。














































こんばんは。 南よりの使者です。
お疲れのところ長文のブログ大丈夫なのでしょうか?
読者としては、嬉しいのですが、少しは休まれてもいいのでは? と思ったりします。
どうかゆっくりお休み下さい。
次々と……残間様が、残間様である!毎日のブログと企画して頂いた場での三度しか接する機会が無い私ですが、今まで残間様と出会った方々が今日に至る?ご本人の成し遂げて来た数々が走馬灯のように蘇ってきていることと……84歳の小柴様とのツーショット残間様がそのお年にはやはり記念に残間様とツーショット、我が家の家宝にする方々がとなるためにも、威力を実感した(睡眠)を、何はさておいても、…プロデュース、ご自分のお身体も……素晴らしい作品が……祈念します。 人に優しいようにご自分にも優しく………。
残間さんの顔をはじめて拝見させていただきました~うっフゥフゥ~ですね!
いつもラジオでお声は聞いていたのですが・・・
小柴さんとツゥーショット、お父さんと娘さんのような光景でほほえましい、とってもいい写真ですね!!
健康に気をつけて、ご活躍お祈りしてます!