8月23日(月)25時38分
朝10時から定例ミーティング。
土日に開催された、
「willbeアカデミー」の中間反省会をした。
教室の近くに飲み物の自販機がないので、
水などの飲料をどこに買いに行けばいいのかの、
インフォメーションをどうすればいいか、
建物の中にゴミ箱がないので、
お弁当やペットボトルをどこに捨てればいいのかなど、
細かいところまで話し合った。
開催が土・日なのでお掃除の人は来ない(みたいだ)し、
willbe事務局の中に女性は,
私とナカヤマしかいないので、
授業の合間に女性トイレに行って、
トイレットペーパーを交換したり、
シンクを掃除するのは私の役目で、
ゴミ処理はナカヤマの担当なのである。
(こういう手作り作業は結構楽しい......)
28、29日は、さらに緊張感をもって、
仕事をしましょうと言い合って、
散会した。
今朝早く、
梨元勝さんが亡くなったことをニュースで知った。
これまでいろんな場面でお会いしていたが、
7年前のお正月にハワイで、
一緒に仕事をした時のことが思い出される。
私はたまたま友人一家と一緒に、
家族旅行をしていたのだが、
せっかくハワイにいるのなら、
大晦日の特番に出て欲しいということになり、
カウントダウンをオアフ島のヨットハーバーで、
迎えることになったのだった。
同行していた友人一家や母や愚息を、
大晦日のホテルに残しておくのは忍びない、
と思ってくれたらしい局の配慮で、
みんなもロケ現場に一緒に行くことになり、
その他大勢の一般見学者とともに、
カウントダウンの場にいることになったのである。
この時、梨元さんは場慣れしていない、
「その他大勢の人たち」(素人の人たち)に、
緊張感を与えないよう、
気持ちをほぐすために、
ひょうきんなことを言って笑わせたりしながら、
あれこれ気を遣ってくれたのだった。
今となっては、
番組の内容は覚えていない友人家族も、
梨元さんと至近距離でお会いし、
気遣って貰ったことは忘れることのない、
いい思い出になっているという。
梨元さんはかつて、
講談社の「ヤングレディ」という、
女性週刊誌の記者だった。
私は当時隣接する光文社の「女性自身」の記者で、
隣りには梨元さんという名物記者がいて、
その昔、立花隆さんが「ヤングレデイ」で、
仕事をしていたことも語り継がれていた。
「ヤングレディ」は果敢な取材をするので、
別名「ギャングレディ」と呼ばれ、
関係各方面から恐がられていた。
当時女性週刊誌は
「ヤングレディ」「女性自身」の他に、
「週刊女性」と「女性セブン」があったのだが、
皇室・芸能記事だけでなく、
時事的なニュースや実用記事も充実していた。
それは取材記者や書き手がみな優秀で、
大半が大宅壮一ノンフィクション賞を狙っているような、
硬派志向の記者が多かった、
ということも影響していたのではないかと思う。
しかし100万部近い売り上げを誇っていた、
女性週刊誌も徐々に陰りを見せ始め、
(私がいた頃の「女性自身」はよく売れていて、
毎週100万部を越していた)
やがて「ヤングレディ」は休刊(実質的な廃刊)された。
私が記者生活にピリオドを打った頃、
女性自身からは前田忠明さんが、
「女性セブン」からは福岡翼さんが、
そして「ヤングレディ」からは梨元さんが、
テレビ界に転身したのである。
正直言うと、
前田さんと梨元さんは、
テレビメディアには向かないだろう、
と思っていた。
フジテレビ専属になった前田さんは、
ほどなく解説に回るのだが、
梨元さんは広く・浅く、
とにかく足で取材をしなければならない、
雑誌界にいた経験を活かし、
逞しいテレビレポーターになっていくのである。
私も今だにそういうところがあるが、
女性週刊誌の記者は、
新聞社系の雑誌記者などと違って、
取材要請をしても「断られること」が日常になるので、
いざ自分が何かを頼まれると「NO」とは言い難く、
何でも引き受けてしまうのである。
また、自分が塵芥(ちりあくた)に近い扱いをされていたせいで、
ついつい目線を弱い側に置くクセがついていくような気もする。
(時には独りよがりの「弱者」を作りたがることもないではないが.........)
だから梨元さんの「恐縮です」も、
受けを狙って言っていたのではなく、
あのようなスタンスでいないと、
取材は出来なかったと思うし、
無名の一般人こそ自分を支えてくれる、
唯一の味方(読者)なのだから、
彼らに注ぐ視線の中に驕りや高ぶりがあったら、
仕事は出来なかったのだと思う。
その意味で、
梨元さんの目はいつも「一般」と呼ばれる、
普通の人の素朴な好奇心と繋がっていたのである。
女性週刊誌が廃れ、
今またネット時代の中で、
テレビの衰退が囁かれ、
メディアは大きく変わろうとしている。
次に人々の好奇心や欲望を汲み取るメディアが何なのかを、
体感することなく逝ってしまった梨元さんだが、
ここ数年梨元さんが手がけていた、
手作り感溢れる瓦版的なパーソナルメデイアは、
この先の可能性を指し示していたような気がする。
.........年齢の近い人たちが、
次々に病を得て亡くなるのを見るにつけ、
かろうじてにせよ元気でいるのだから、
時間を無駄にしてはいけないと、
痛切に思う。
昨日のwillbeアカデミーで、
浅葉克己さんは、
「睡眠は僕のやりたいことを奪う大敵」と言っていたが、
私も志半ばにして逝った友に手を合わせる時、
「眠ってなんかいられない!」と思ってしまう。
.........今夜は、ちょっと眠れそうにないなぁ。
一息つく間はありませんね〜。今日のブログを読まれたかたは…次の受講には、ゴミの始末などなど!?多分ご協力して下さると思います。手作りは大変でも、味わいがありそれを楽しんでいる!残間様に魅力を感じる一つです。「女性自身」懐かしいです、私が最初に手にした女性週刊誌でした!確か…創刊号に勤めていた会社が「女性が今一番得する会社」!?として紹介されてびっくりした記憶があります、1961年頃だったと思います。恐縮ですが…余りにも早い訃報に、ご冥福をお祈りします。猛暑の夏親しい方との別れが有りません事を願っています。
残間サンは、人を見る眼がとても温かですね。
どんな人に対しても、レッテル張りをせず、上下左右縦横斜めから観察し、良い面を見て、寄り添おうとする。
確か、子供の頃から病院にいることが多かったっていってらしたと思うけれど、その経験が大きかったのかなと、勝手に想像しています。
ぼくは、割と人に厳しく自分に甘く、こいつは許せないと思うと、ストレートにどなりつけちゃったりするので、残間サンを見習いたいです。
…秋からでいいですか。
今週、参加します。お手伝いさせていただきますので、トイレ掃除でも何でも遠慮なく言って下さい。勉強?講義?久々です。子供の頃は、勉強嫌いでしたが、大人になると何故か?又勉強したくなります。アカデミー?参加迷っていましたが、楽しみです。今、仕事帰り、電車内隣の席の年配の女性が、座るなり単語帳片手に英語を、覚えている。ウィルビーも、大人の出会い、学びなどチャンスもらってます。週末が楽しみです。
22日のwillbeアカデミー2時限目で、作家の島田雅彦さんの口から思わず洩れた次の言葉、
「読み始めたら止まらないというような小説は残らないことが多いのです。消化の悪い文章の方が残ります。」
「残る小説というのは、何度読んでも、あるいは年を経て読んでも読むたびに新しい感覚を味わえる文章です。」
というくだりは、ブログで何度読み返しても素晴らしい言葉だと思います。「作家の格言」として残したい!
私も梨本さんの死亡はたいへんショックでした。
そして最近、梨本さんが専属ででる冠番組をもってなかったらしく、意外と扱いが(私が予想してたより)ちいさかったことも。
いわゆる『芸能レポーター」の元祖ですし、偉大ですよ。
そして
人間が好き な泥臭い人だたっと思います。
そして今回はじめて知ったヤングレディの記者だったという件、「ヤングレディ」この言葉じたいが今は・・・ですけどたしか小学生ぐらいだった私が母の勤める美容室に遊びにいくたびに、少しきわどい内容もあって、どきどきしながら読んでたのを覚えています。
ほんとうに残念ですね。。