8月7日(土)25時03分
私に心配をかけてはいけないと、
内緒にしていたらしいのだが、
朝、今日は休みのニシダさんから電話があって、
昨日母が自室で転んだことを知った。
「すぐに湿布をしたので、多分大丈夫だとは思うが.........」
とのことだったが、
私のいない時に悪化しても困るし、
場合によったら旅行は取り止めにしなければならないので、
朝食を持ってそれとなく様子を見に行ったら、
いつもと変わった様子もなく、
元気そうにしていたので安心した。
(もっとも私には知られていないと思っているので、
精一杯虚勢を張っているかもしれないのだが)
今年に入ってからも、
既に2、3回、
夜中に起きた時、転倒していたので、
ベッドの周りに厚めの敷物を敷いたのが、
功を奏して、
難を逃れたらしい。
お昼は鮭と梅干しのオニギリがいいというので、
あとで持ってくることを約束して、
部屋を出た。
.........今日は朝から、
拙稿書きのはずだったのだが、
母のことで緊張と弛緩を一気に体験したお蔭で、
急にやる気がなくなり、
仕事部屋に入りたくなくなってきた。
(意を決して「よしっ!」と思わないと、
始められないナマケモノなのだ)
ふとテーブルの上を見ると、
愚息に観せようと借りてきた「地獄の黙示録」が、
2001年にコッポラ自身による、
ディレクターズカットの「特別完全版」だと解り、
急に観たくなった。
(原稿書きから逃れたい一心)
昔、コッポラの妻エレノア(彼女も監督)が撮った、
この映画のメイキングを観たことがあるのだが、
その中に密林の中にフランス人たちが作った、
豪華なプランテーションのシーンや、
前線に慰問に来るプレイメイトのシーンなど、
苦労の末に撮ったいくつかのシーンが、
やむなくカットになった話が出ていたので、
その53分間が入っている「特別完全版」を、
いつか機会があったら観たいと思っていたのである。
朝の9時半から観る映画ではないような気もしたが、
「観たい」という誘惑には勝てず、
(原稿から逃げたいという誘惑の方が大きかった)
そのまま2時間42分、
居間のソファに座って観続けた。
.........以前(と言っても、1980年だと思う)
観た劇場版より、数倍良いと感じたのは、
今、この時代の中で観ているからなのかもしれない。
あの頃はまだベトナム戦争の記憶が生々しかったから、
かえって「戦争もの」と規定して観ていた気がする。
つまり、戦争がもたらす「狂気」に、
今ほど敏感ではなかったのだと思う。
あれから9.11を体験し、
アジアの台頭とアメリカの衰退を見ている今のほうが、
よりインドシナの悲劇がリアルに感じるのだ。
映画は時を隔てて、再び観てみるものだと、
しみじみ思った。
観終わったら、
すぐに原稿を書き始めようと思っていた気持ちが、
余計萎えてしまったいたところに、
母から弟夫婦が母のところに来たとの電話が入った。
弟も最近は時々電話をしてくれたりもするが、
日頃は何かと忙しいらしく、
日常的に来ているわけでもないので、
弟が来た時の母の喜びようは大変なもので、
「冷蔵庫に何もないの。どうしょうかしら」と、
慌てている声が高音で弾んでいる。
「孫がかわいい」と言いながらも、
やはり我が息子とは可愛さが違うらしい。
こんなこともあろうかと、
いつ弟たちが来てもいいように、
「ビールだけは絶やさないようにしてあるからね」と、
(弟は大のビール好き)10本程度は冷やして置いているのだが、
気が動転して探せないらしい。
「食事をして来たばかりだから.........」と言うので、
簡単なおつまみと、お酒が駄目な義妹にメロンを切って、
母の部屋に行くと、
「オフクロ、転んだんだって?」と心配そうに聞くので、
「言っちゃ駄目っ!大したことはないらしいけど、
私は知らないことになっているんだから」と、
たしなめた。(幸い?耳が遠くて聞こえなかったが)
息子には甘えたかったのかもしれない。
いつも滞在時間は小一時間程度なので、
なるべく弟たちと話をさせてやりたいと思い、
お土産を渡して、
私は退散することにした。
ほどなく、
「今、帰りました。いろいろありがとうね」と、
母が電話をくれた時、
心なしか淋しそうだったので、
(明後日からしばらくお留守番になることでもあるし)
ちょっと可愛そうな気持ちになり、
夕食は愚息と3人で、
母の大好物のお寿司を食べに行くことにした。
愚息は今日は横浜青葉区で、
「子供のための音楽会」という音楽イベントに出演し、
ティンパニとシンバルと木琴を担当したとかで、
お腹を空かしてお店にやってきた。
母は外食の華やぎが大好きなのだが、
最近はゆっくり食べないと、
嚥下が難しく、気分が悪くなることが多くなり、
家で食べる日が続いていた。
外に出ると楽しさのあまり気持ちが逸るのと、
周りに合わせないと悪いと思うらしく、
ついついペースが速くなるのだ。
(私たちは母が食べているところを、
なるべく見ないようにしなければならないのである)
今日は予約を入れる時に、
あらかじめその旨を伝えてあったので、
お店の人も気を遣って、
一貫ずつを間隔を空けて、小さく握ってくれた。
お蔭で、今日は最後まで美味しそうに食べていた。
(小ぶりとは言え、10貫は食べた)
風が少し出て来て、
涼しくなった夜道を3人で歩いた。
愚息に手をつながれた母が、
「今日は凄く楽しい一日だったわ。
こういう日をまた迎えるためにも、
元気でいなきゃね。
私、まだまだ頑張るので、よろしくお願いしますね」
と、本当に嬉しそうに言うを聞いて、
何だか少し哀しくなって.........涙ぐみそうになった。














































お早うございます。虐待・無縁社会とか所在不明者などのニュースが、ここ数日流れています。残間さんと息子さんとお母さん(おばあちゃん)とは,家族の強い絆を、感じました。私も、ふと離れて暮らす、親のことを、思い出しました。素敵な夏休みを、お過ごし下さい。
一人暮らしの母を近くに住んで支えている(支えられている?)私と残間さんのお母様との毎日が時々重なる事があります。私の母もにぎやかに場所が好きで時々外食を楽しみにしていましたが圧迫骨折をした今年の初めからはなかなか外にも出られない状態です。
お寿司を食べた帰りに息子さんに手をつながれて歩きながら「今日は楽しかったわ・・」とおっしゃるお母様。母もそんな場面でそんなことを言っていたな~と思い出しました。
お盆で帰省する子どもたちと一緒に母を連れて食事に行きたいと思ったりしています。
「母の手を 支えて見上げる 盆の月」(おそまつ・・)
今ブログを拝見し遠い記憶が蘇えり目が潤んで…母親にとって息子(特に末っ子)は…それを寛大な心で見守っていられる残間様、思い遣り理解とはそうゆう事なのですね〜またまた残間様が好きになりました。今朝テレビに直島が…いつか行ってみます(せっかくのツアー不幸と重なりキャンセル失礼しました)昨日は美の壷でベトナムの伝統が…気の遠くなるような刺繍を、戦禍の中を守り通した!粘り強さ、今あたらしい時代に繋げると、見習う事を痛感しました。假屋崎省吾さん、以前ホテルの造形華を拝見し、新鮮さに感動しました。時々テレビで拝見し(笑)昨年目黒雅叙園の華展、自分の感性が!?と…残間様、せめて休日の日だけでも癒やされる時間をと願います。母上様大事に至らす良かったですね。一時たりとも頭から離れない(どんなに楽しい時でも)それが…親と生活する!事なのです、どうぞ普段は出来ない方々、盆休みには為されます事をと願います後で良かったと思えるように。「いろいろありがとうね」の母上様のお言葉は万感の感謝の気持ちと思います。近くの病院で毎年夏祭りがあります104歳まで年を重ね今赤ちゃんに戻った方々、音楽を聴き涙を流します、私に出来る参加の一つとご家族の来られない方の側にです