12月12日(日)26時41分
只今、12日、
いや、時計を見直したら、
正確には13日の午前0時30分過ぎ。
新青森発19時33分、
最終の東京行きの東北新幹線に乗って、
(仙台からならまだ遅い電車もあります)
今しがた帰宅したところだ。
(先に母の「安否確認」などがあり、
まだ、メイクも落としていない)
いやぁ、楽しかった。
東京駅から新青森駅までの3時間半は、
ほどよい時間距離で、
本を読んだり、考え事をしたり、
ゆったりとした大人の時間を体験出来る、
素敵な時空間だった。
(最近葉東京ー新大阪だと、結構慌ただしく、
一仕事終えてから、うつらうつらする時間がないのだ)
さてさて、東北新幹線新青森駅開業記念のイベント、
JR東日本の「大人の休日倶楽部」と、
「club willbe」の共同企画、
「大人フォーラムin 青森」は、
みなさんのお蔭でとてもいい感じで、
終えることが出来た。(ように思う)
私が新青森駅に到着した時には、
朝降ったらしい雪が、
うっすら路上に積もってはいたが、
空は青空で、太陽も射していて、
正直ちょっとガッカリしたのである。
(早朝調べた天気予報も「雪」だったので、
すっかり雪モードになっていたのです)
ところが、
私より小一時間あとに着いた、
ゲストの椎名誠さんと三屋裕子さんは、
「青森らしい、激しい雪だね」
「横なぐりで、吹雪みたいだった」
と、言って会場に入ってきたので、
驚いて外を見ると、確かに凄い雪。
「私もこの中を歩きたかった」と思いつつも、
今度は、来場者のことが気になってきた。
フォーラムは14時から,
国際ホテルのボールルームで開催されたのだが、
私の心配をよそに、
早くから沢山の人が来て下さった。
こちらでは、
行政が主催する個人の講演会や、
固いテーマのシンポジウムなどはあっても、
複数のゲストがトークセッションという形式で、
話をするのも珍しいし、
それをホテルの宴会場で開催するというのは、
ほとんどないとのことだったので、
最初は出足が心配されたのだが、
300人入る会場はいっぱいだった。
この種のイベントにしては男性が多く、
女性と男性の比率は65対35くらいだろうか、
年齢層も4、50〜60代女性を主軸に、
20代から70代と幅広かった。
雪だというのに、
モダンな着物をカッコ良く着こなした、
女性も来てくれていたし、
椎名さんの持論である「青森の女性は、
顔の輪郭が雛人形みたいに整っていて美しいんだよね」
を実証する女性たちが大勢来て下さった。
みなさん、よく笑い、
活き活きとした反応を返して下さったので、
椎名さんも三屋さんも「いいお客さんだったねぇ」と、
喜んでいらした。
北東北が大好きという椎名さんは、
私の知る限り(何度もこういう企画にご一緒しているが)
今までで一番よくお話下さったように思う。
三屋さんは、
club willbeのスタート時のイベントで、
初めて椎名さんに会ったのだが、
「好きな男性のタイプは?」と,聞かれると、
「椎名誠さんみたいな人」と答えていたそうで、
初めて会った時には,
とてもドキドキしたのだという。
今日のトークでも三屋さんは、
「椎名さんって、ご著書を拝読すると、
食べるのも飲むのも『わっし、わっし』という、
いかにも豪快なイメージだけど、
お会いすると寡黙でシャイで、
書かれている本のイメージとの間にギャップがあって、
そこがまた素敵なんですよねぇ......」と、言っていたが、
確かに椎名さんは、
気のあった仲間たち(ほとんどが男たち)といても、
じっと黙ってお酒を飲んでいたり、
人の話を聞くともなく聞いていたり、
その時々を「自分流」に過ごすのである。
そんな椎名さんが、
今日は「これだけは言っておかなきゃ......」と、
これまでの人生の転機になった旅の話から、
奥さんやお孫さんの話まで、
実にいいお話を沢山して下さったのだった。
三屋さんの話術の見事さにも定評があるのだが、
15歳で親元を離れ、
オリンピック選手として、
朝から晩まで監督の命令一下、ホイッスルで動き、
返事はただ一つ「はいッ!」しかなかった日々を、
(「どうしてそうしたのか」と問われても、返事は「はいッ!」のみ。
「理由」を述べることも「言い訳」と解釈される熾烈な日々)
旅になぞらえて話して下さったり、
心が折れた時に出かけた南の島の話など、
これまたいつもは聞けない話を沢山して下さった。
お二人とも東北地方、
それも青森が好きだということが、
根底にあったからだとは思うが、
何よりも会場の雰囲気が良かったからだろう。
私もコーディネーターをしながら、
お二人の話に引き込まれ、
充実した時間を過ごすことが出来た。
影(陰?)アナ(「トイレはどこにある」だの、
「携帯電話などの電子機器は電源をお切り下さい」
みたいな裏から聴こえて来るアナウンス)の担当な私だし、
(始まる前に録音したのである)
ホテルとの折衝など、
会場周りを細やかに見てくれていたのが、
JR東日本の鉄道事業本部の人たちだったり、
受付は青森の友人の紹介で来てくれた、
青森在住の女性2人がボランティア同然で、
手伝ってくれたりという「手作り感」が、
いかにも青森らしい、
あたたかいフォーラムになったのではないかと思う。
(自画自賛ですが......)
willbeメンバーは、
東京、神奈川、新潟などからも参加して下り、
私が一人で新青森駅に着いた時、
横浜から来た同い年の横浜の男性メンバーに、
「フォーラム、楽しみにしていますよ」と、
声をかけて貰ったり、
willbeのイベントで友達になったという、
女二人旅のメンバーらに声をかけていただいたりが、
大きな励ましになった。
(willbeメンバーのみなさま、ありがとうございました)
ゲストのお二人をお見送りした後、
残って下さっていた、
青森のwillbeメンバーの皆さんとしばし歓談をしたが、
青森でも、遠く下北から来て下さった方もいて、
これにもまた感激した。
willbe事務局のナカヤマ、ミノヤ、ヒロモリらと、
撤収作業をして,
外に出たら、
小雪が舞い散っていた。
前の日入りしていた、
ナカヤマらが前夜行って気に入ったという、
郷土料理屋「あおもり家」で、
美味しい地酒で乾杯をして、
帰途に着いた。
(このお店のご主人は、私が雑誌編集長時代、
電通にいて、私と一緒に仕事した人だということが判明し,
偶然の出会いに一同ビックリ。
再訪を約束して、お別れした)
明日からは、
企業へ行って「club willbe」の1年間の活動報告をしつつ、
今後も「ご協賛下さいますように」という、
一年で一番緊張する「御礼&御願い行脚」が始まる。
(そう遠くないうちに「必ずや自立したい、しなければ」
との決意葉持っているのだが、
今しばらくのお力添えを賜りたいとの,
「懇請の旅」なのである)
......青森でいただいたみなさんの温かさ、
そして全国各地でclub willbeを応援して下さっている、
みなさんの熱き思いを胸に、
頑張って参ります!
交通インフラの進展というものは、社会・経済・文化に多大な影響をあたえてくれるものですね。
本州北端の青森と東京とが、このように繋がることで、東北全体が一つの生活圏、カルチャー圏域に拡がってゆくような期待感を感じます。
椎名さんや、三屋さんや、残間さんなどの、レンジの広いカルチャーの方々が、地域に埋もれている文化や、ライフスタイルや、ひいては産業にいたるまでの交流の触媒的な役割を果たされることで、地域に在住したままで、或いは都会に住んだままでも、相互にある社会から得られるものが行き交う場が生まれてゆくような期待感を感じます。
大里さんが浅草で手がけられているアミューズ館はその一つの先駆けでしょうか。
古来、文化交流や、人間交流がもたらす成果によって私たちは多くの進展を遂げて来たように、この新しい交通インフラは、本州の北域を大きく変える媒体になってくれるような期待感を膨らませてくれますね。
青森でのフォーラムもご盛況だったようですね。
行けませんでしたが、「どんなだったろう」と密かに
心配(?)していました。
3年前の夏に行った青森の風景に雪を重ねてみながら・・・。
今日は、こちら(栃木)も寒い一日でした。
昨日は素敵な時間を過ごすことが出来ました。
私は昭和27年「浦町」生まれ、残間さんが
近くに住んでいたことがあったんですね。
その時代が残間さんのご家族にとって黄金
の時代であり、来青する前にお母さんに
「青森に行ってくるからね」と話された時
とても親近感を覚え嬉しくなりました。
パワー、気配り一杯の残間さんに出会えて
元気をもらいました。ありがとうございます。
腱鞘炎は実はPCを休むと少しは改善するの
ですが、かく言う私もなかなか実行できません。
でも本当に辛い時は無理をしないでくださいね。
残間様、
椎名さま、三屋さん、雪の青森満喫なされました事でしょう。
青森みなさまに喜んでいただけて心よりお喜び申し上げます。
私も、行きたくてずいぶん迷いましたが、日程が無理でした。
冬の青森は未だ経験したことがありません。
夫と青函連絡船が無くなる少し前にフルム-ンパスで、
(上原兼、高峰三枝子さんとはいきませんでしたが)
のんびりと、船の中で食べた!
烏賊さし(イカソ-メ)の美味しさは、
椎名さまにも味わっていただきたい一品でした。
栃木のセツコさま、私も同じ思いでいました。
居ながらにして、青森、栃木、...何か身近に感じます。
このブログのお蔭ですね。
栃木の干瓢、らっきょうの溜り漬け、
おおや石、夏の水やりが楽しみでした(石の色が変わる様)。
是非是非、こちらでも企画お願いします。
残間様ナカヤマ様みなさま、今年もあとわずかになりました。
良い残りの日を過ごされます事をと、願っています。
昨日は楽しい時間をありがとうございました。
そして貴重な時間を削ってお話出来たこと、感謝いたします。
悪天候の昨日、当地から青森までは直通の電車がなく、しかも運休区間があったりで、若しかしたら新幹線で青森から仙台まで行くより時間がかかったかも知れません^^
でも、ここの人は皆慣れていて、朝も野辺地で上りの新幹線には接続出来ないとの説明に、誰も文句は言いませんでした。
天候には逆らえませんものね。
今年になって自分で考えたモットーのようなものに
「便利さと不便さの享受」
があります。
便利さは、ネットを含めた便利さを活用して行く事。
そして不便さの享受は・・・
時間をたっぷり使った時を過ごすこと。
昨日のバス代行での旅も、私なりの不便さの享受。
疲れた時のファーストフードは便利さで、時間をかけて作る料理、作品、スローライフは不便さの享受。
両方をバランスよく取って日々を積み重ねたいの気持ち。
本州北端の半島では、都会とは違うゆっくりした時間が流れています。
不便さを感じることもあるのですが、それを享受して暮らして行きます。
でも、willbeには刺激を与えてもらえそうで楽しみです。
>あら~古稀さん
参加されていたらお会い出来たのに残念でした^^
いつかの機会を楽しみにしています。
さっきまで二階でジョン・レノンを聴きながらチクチクタイムで非日常への旅でした^^
浅野史郎さんのブログ『夢ライン』が再開されましたね。
ご病気と戦っておられる浅野さんと献身的に看護なさる奥様のエピソードにいつも励ましていただいております。娘の病気のことを悲観してしまいがちになるのですが、浅野さんのブログを読んで力を頂いています。浅野さんと奥様に深く感謝しております。
> 浅野史郎さんのブログ『夢ライン』が再開されました、、、
気になっていました。よかった!
> あら~古稀さん
12/12(日)、あら~古稀さんのコメントへの返信文を投稿しましたが、未だ掲載が保留になっています。
『コメント、ありがとうございました。』 まずは、お礼まで
(txt end)
> 本州北端の半島では、都会とは違うゆっくりした時間が流れています。
> 不便さを感じることもあるのですが、それを享受して暮らして行きます。
koroさん、はじめまして。大いなる田舎と揶揄される名古屋は、自動車不可欠の不便さに加え、冠婚葬祭や町内会での「シキタリ」による負荷が大きく、不自由さも享受して過ごさねばなりません。部品一個の単価に「コダワル」生き方に甘んじ、文化的な側面が弱いと感じながら、、、住み難い、、、悪い意味で保守的な地域です。
(txt end)
日曜日は青森でフォーラム開催していただきありがとうございました。雪になってしまいましたが楽しみになさっていたようですのでよかった?です。ブログ内であがったように近隣では今回のような形式のフォーラムはなく、自然な会話のように流れていくお話しに心地よく身を任せすっかり聴き入ってしまいました。あの後すぐ同ホテルのカフェで、一緒に参加した写真友だちと三人で「自分らは大好きな弘前で写真や人とかかわり何ができるだろう」「人生は自分探しの旅なんだな」など感想からやりたいことへと夢がひろがり、盛り上がりすぎて時間のたつのを忘れ語り合いました。それぞれが新しい扉を開けたよう…このような機会を頂き本当にありがとうございました。追伸:たくさんある夢の中のひとつに《古都弘前に着物の花がたくさん咲きますように》があります。この度もブログ内で着物についてもふれていただき嬉しく…ありがとうございました。