4/30(土)宮城県人気質。

icon_zamma.jpg4月30日(土)24時38分

只今仙台から帰って来ました。


タクシーの運転手さんも、
ホテルの人たちも、
お寿司屋さんも、
コンビニの店員さんも、
会う人みんなが、
親切で、温かくて、
お見舞いに行った私の方が、
沢山の力をいただいて戻って来ました。
(写真も多数撮って来ましたが、
自分では立ち上げられないので、月曜日までお待ち下さい)

♡〜〜〜〜〜♥〜〜〜〜〜♡〜〜〜〜〜♥〜〜〜〜〜♡〜〜〜〜〜♥

当初一人で行こうと思っていたのだが、
私の親戚にこれまで何度か会ったことのある、
ナカヤマが「私も是非行かせて欲しい」と言うので、
「みちのく二人旅」と相成った次第。

3月5日にデビューしたのに、
震災が起きたことから、
わずか1週間で休止することになった、
新型車両「E5系はやぶさ」だが、
この日から運転再開になるというので、
23番線ホームは、
大勢の報道陣と乗降客でごった返していた。

(鳥越俊太郎さんが23番ホームに立って、
カメラマンや記者などの動きを見ていたので、
取材かと思って尋ねたら、
「いや、僕は向いのホームから長野へ行くんですよ」とのこと。
現場主義の鳥越さんとしては、
人垣の「正体」を、
自分の目で見極めようとしていたらしい)

車内は満席。
前の席の20代後半か30代前半の男性二人連れが、
大宮駅に着く直前で突然いなくなり、
替わって大宮駅から、
50代の夫婦連れが乗って来たのが、
「謎」だったのだが、
どうやら二人連れは短時間でもいいから、
「E5系はやぶさ」に乗りたいという、
鉄ちゃんだったみたいだ。

道中、福島が近づいた頃から、
ところどころで屋根瓦が壊れて、
青いビニールシートで覆われた家が、
何軒かはあったが、
車窓から見る限り(あくまで表面は)
あれほどの大震災があったとは思えない、
のどかな田園風景が広がっていた。

仙台駅が近づいても同じで、
高架から見下ろす仙台市街は、
昨年誕生日を迎える為に訪れた時と、
さほど変化はないように見えた。

........10時51分仙台着。
仙台駅も大勢の人で溢れかえっていた。
改札口で大きなリュックを背負った、
「さわやか福祉財団」の堀田力さんにお会いした。
「やぁ、お久しぶり!」「こんにちわ!」
あまりにも人が多く、
それ以上話すことは出来なかったが、
これからどこかに支援活動に行くらしかった。

最初に若林区に住む、
いとこの家に行く予定でいたのだが、
口では「もう大丈夫」と言っていたが、
それでも今はまだ新鮮なお寿司などは、
食べられないのではないかと思い、
駅ビルの中のお寿司屋さんに入り、
5人前のにぎり寿司と太巻き2本を注文してから、
店外に出て、いとこに電話をした。

「今、お昼用に、
お寿司を握って貰っているから」と、言うと、
長兄・エイイチさんが、
「こっちもお寿司を用意したんだよぉ〜。
トシコがポテトサラダと煮物も作ったんだぁ〜」
と、ボソッと言ったのである。

うわっ、どうしよう!
お寿司だらけになるではないか。
(ん? でも、お寿司があるんだ............。)

いくら何でも、
こんなにお寿司があっても、
困るのではないかと思い、
お寿司屋さんに正直にこの話をすると、
もう既に握りはじめていたというのに、
板前さんもフロアスタッフも、
ニコニコしながら、
「そうですか、構いませんよ」と、
実に感じよく言ってくれて、
お勘定済みだったお金を返してくれたのだった。

いとこの家に行くと,
エイイチさんが話していた通り、
にぎり寿司とトシコちゃんが作ってくれた、
旬のカブを中心にした煮物と、
具だくさんのポテトサラダがテーブルの上に乗っていた。

ビールで乾杯をして無事を喜び合い、
心づくしのお料理を食べながらも、
ナカヤマも私も、
3月11日の話を聞きたくなるのだった。

「一番困ったのは、
ガソリンが買えなかったことだったわね。
近所のお店は壊れてしまったから、
車がないと買い物にも行けなくてね。
ここにただ居るしかなかったのよ。
震災後は2階で寝るのが怖くて、
みんなで茶の間にかたまって寝ていたんだけど、
ある夜八木山からヨウイチくんが探しに来てくれて、
やっと無事が伝えられたんだよね」と、
トシコちゃんが言えば、
「朝5時からガソリンを買うために並んで、
5時間ぐらい並んだ時に、
突然『今日はおしまいです』って言われた時は、
ガッカリしちゃったよねぇ〜」と、
エイイチさんがおっとりとした声で言う。

話を聞いていたナカヤマが、
「ガッカリしたですって?
だって1人10リッターとか分量は決まっていたわけだから、
最初から何人ぐらいまでが大丈夫かは解るわけですよね。
普通は『もっと早く言いなさいよ』って、怒りますよ。
5時間も待たせてから『今日は駄目!』と言うのも、
信じられないけど、それを『ガッカリした』と言う、
エイイチさんも信じられないわ」と、
何故かプンプン怒っているのだった。

次に行く八木山の親戚の家まで、
三男が車で送ってくれるというので、
車に乗り込んだのだが、
シートに腰を降ろすやいなや、
(いささかの躊躇いはあったのだが)
思い切って頼んでみた。

「津波はどこまで来たの?
どこまで津波が襲って来たのか、
現場に連れて行ってほしいの」

いとこの家から、
車で2、3分も走ると、
そこはもう瓦礫の山だった。
高速道路が防波堤の役割を果たしたとは聞いていたが、
実際走ってみると、
東部道路という1本の高速道路を境にして、
左右はまったく別世界なのだった。

道路から東南側は住宅はほとんど残っていないのに、
北西側は震災前とさほど変わらない日常が続いているのだから、
地元の人が「1本の道路で天国と地獄に分かれた」と言うのも、
(残酷だとは思いつつも)頷ける光景だった。

このあと、
八木山の親戚宅に行き、
数年前に脳腫瘍のせいで失明した、
90歳の叔母を見舞ったのだが、
「目が見えないから、怖くて怖くて......」と、
見えない目に涙を浮かべながら、
手をブルブル震わせる姿に、
私はただただ抱きしめるしか出来なかった。

最後に会ったのは、
小学校時代の親友、エイコちゃんだ。
彼女も若林区に住んでいるのだが、
ガスが1ヶ月間来なかっただけで、
断水もなければ電気もすぐに開通し、
被害はほとんどなかったのだという。

「いくら『何でもなかった』と言っても、
東京にいる親戚からお見舞い金が届いたりして、
送り返すわけにもいかなくて......」
と、困惑気味だった。
ここでも、
ほんの少しの差で、
全然違う日々を過ごしている人の、
戸惑いが感じられた。

夕食は、
楽天ーオリックスの第2戦で、
始球式をするという生島さんとご一緒した。

......で、今日。
母のことがあるので、
あまり遅くまではいられなかったのだが、
生島さんの始球式に立ち会わせてもらった。

今日まで5日間、
事務所のスタッフ相手に、
投球練習をしたせいで肩や腕が痛くなり、
注射を打ったり湿布をしたり、
大変だったようだが、
気仙沼で津波に遭い、
今も見つかってはいない妹さんに、
『思いよ届け』と言わんばかりの力投だった。

球場で生島さんと別れ、
昨日お寿司をドタキャンをした、
(既に握り始めていたのだから、
ドタキャンより申し訳ないことをしたのだが......)
駅ビルのお寿司屋さんに行って、
お詫び方々、
お寿司を握ってもらった。

帰りの新幹線で、
ナカヤマがしみじみ言った。
「一昨日お会いした月尾先生が、
東北の人は虐げられた歴史が長かったせいか、
我慢強いし、好い人が多い、
と、おっしゃっていたんだけど、
今度の旅でたしかにそうだと実感したわ。
ニュアンスとか行間に漂う思いを大事にしているし、
絶えず相手に対して気を遣っているものね。
万事に明るく率直で、
何事にも腹蔵ない静岡県人とは違うわねぇ。
そうだ、息子の妻は東北人、
う〜ん中でも宮城県人がいいなぁ......」

(.....ホント?
私みたいな宮城県人でもいいのォ?
つべこべうるさい妻になるわよ)

当然のことながら、
私を「棚に上げて」の話だが、
私もナカヤマ同様、
今回の旅で東北人は忍耐強くて、
やさしい人が多いなと改めて感じた。

そして、
東北人、いや宮城県人に生まれたことを、
久しぶりに誇らしく思った。

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コメント(7)

残間様、ナカヤマ様
 お帰りなさいませ..お元気そうで良かった~♪♪。

私は故郷は近くに有りて想うものと...詩人では無いので。

故郷の地に立つ時に何時も想っております。
(以前にも書きましたが)。

生まれ故郷を、誇りに思える事は素晴らしい事ですよね。

今日のニュ-スで、僅かばかり残った牡蠣の稚貝を、
こちらの養殖用に分けて下さると、
苺の苗も来年用にと育てて居られる方(ほとんど全滅)。

頑張れ~なんて言わなくても、(言えませんでした)。

皆で頑張って生きているのが!!県人と最近特に思います。

母にもやはりその気質が有ったから..と嬉しくなりました。

実状が分かり少し安心しました、感謝致します。

おかえりなさい。

最近、父の話す言葉にあまり力がないので気になっていたのですが、
そうだ!!と思いつき、埃を被ったカラオケマイクを引っ張り出して
テレビにつないでみました。
20年近く前の物ですが、おお、ちゃんと唄えるではないですか♪
お父さん、一緒にちょっと唄ってみない?と誘ってみました。
最初は関心なさそうだった父も、ポニョと交互に唄ううちに、
だんだん調子が出てきました。
父子で「あの鐘を~鳴らすのはあな~た~♪」などと大声を張り上げていると
(父は「これは大きな女が唄っている歌だな」といっていました笑)、
驚いた母が居間に入ってきて、「朝っぱらから何大声出してるの?」というので、
素早くセットして、「はい、お母さん、どうぞ~♪」といってマイクを持たせると、
母も歌は嫌いな方ではないので、
「あ~おい目をしたお人形は~、アメリカ生まれのセ~ルロイド♪」
などと唄うではありませんか笑。
そして何曲目かに父が、「青葉城恋唄」を歌い始めたのです。

広瀬川流れる岸辺 想い出はかえらず
早瀬おどる光にゆれていた君のひとみ

…今頃、残間サンは…
モニターに映る風景を眺めながら、思いはいつの間にか北に飛んでいました。

時はめぐりまた夏が来て あの日と同じ流れの岸
瀬音ゆかしき杜の都 あの人はもういない

…どのあたりをどんな思いで歩いているんだろうな。
あまり落ち込んだりしないといいな、
などと思いつつ、少し元気が出てきた父の横顔をぼんやりと眺めていました。

残間サンがほんわかした心で帰ってこられて、ホントによかったです。
ナカヤマさん、やさしいですね。

お帰りなさい!お疲れさまでした。故郷に行かれて気持ちに
ひとくぎりは付きましたか?腱鞘炎は使い痛みと言います
けど・・手首の腱鞘炎になった時雑巾を絞るのにも油汗かきました。でも・・知らず知らずに時間薬、ひにち薬です。
大丈夫ですよ、忍耐力を試さないで早めに受診してくださいね。みんなの残間さんですから・・ご自身をご自愛下さい!
たかし様私の母も82歳です。77歳で千の風になりましたけど
生きていれば8月で82歳です。私の胸の中にはいつも居ます。母が居なくなるのは私がこの世から居なくなる時です。
大阪~佐賀10年間遠距離介護でしたから母は寂しかったと思います。最後も私が帰宅して5日目でした。死に目には会えなかったけども・・貴方のお母様みたいに安らかみたいでした。今日がお葬式なんですね。どうか安らかにお眠り下さい。合掌、

残間さん、中山さんお帰りなさい。私も、知人が実は、宮城・石巻で津波でお母様を亡くされました。だけど、驚いたのが、その知人の家族は、避難所暮らしで連絡取ることが、自分からは、取れないし、「お前が帰っても、今、生活することは、出来ないから、そちらで、頑張りなさい。」 と、言われているそうです。その普通に生活している姿に周りで中には、色々言って来る人の話しを、聞いて悲しくなりました。心の中は、ズタズタボロボロでずっと帰って支えたいともご本人から聞きました。が、自分がしっかりして仕事して現実問題、経済的に支えて行かなければならない話しも聞きました。こちらから、電話が出来ない避難所のお話しに驚いたと同時に、故郷に戻れない理由、真意もわからず、色々言うのは、止めて欲しいと思いました。親戚の方からも、大丈夫だからとやはり、言われているそうです。東北の人達の我慢強さや、気遣いに甘えないで政府関係者は、早く義援金や復興支援を、していただきたいです。

 そうでしたか、生島さん快投だったのですね!!!練習のし過ぎで本番前に肩を壊したとラジオで言われてましたけど・・・楽天もベガルタも調子いいし、スポーツやエンターティメントが被災者の皆さんの心の傷に少しでも薬になってくれるといいですね。堀田さんは「足長育英会」を通じて「震災孤児」の支援に力を入れて下さっていますね。幼くして両親を亡くしてしまった子供達が一番気がかりでなりません。我々も協力しますので何か支援に関する新たな情報がありましたら御教え願いたいと思います。

 日本の次はアメリカも竜巻で大変な様ですね。「トモダチ作戦」どころではなくなってしまうのかな?竜巻は津波以上に対策が難しいですね。全くどうして自然はこう牙を剥くのでしょう。

 akaneさん 母の葬儀を終え今帰宅しました。自分は次男なのですが喪主を務めました。泣くまいと思っていましたが出棺の挨拶の際には感極まってしまいました。4年前に父を亡くしたのですが、その時は泣きませんでした。男は母親への思いがより強いのでしょうかね? 母は偏屈な人でしたがとにかく良く働きました。自分も兄も親不孝でしたので全く心残りです。もう少し孝行してあげるべきでした。冠婚葬祭の時にしか会わない親類も多いですね。どんどん亡くなっていくので淋しい限りです。これからは余り親交のなかった親類とも話をしたいと思います。しかし人の命ははかない物ですね。残された自分の命、そして新たに産まれてくる命を大事にしたいものです。

「みちのく二人旅」
お疲れ様でした。お帰りなさいませ。
ずーと、気にかけていらっしゃったので、ほっとなさった事でしょう。温かい東北の方々のおもてなし、お心遣いにブログを拝見した私も何だかほんわか、ウルウルします。

我慢強く、控えめな被災者の皆様に、一刻も早く行き届いた援助の手を差し伸べて欲しいものです。
これからは地域により、益々援助や復興の格差が大きくなる事でしょうが、何とか置き去りにされる所がないように、目立たない所や、離れた小さな被災地にも隈なく光をそそいで欲しいですね。

私も里心がついて、故郷に帰りたくなりました。
3月に行く予定でした。物理的には問題なかったのですが
気持ち的に、どうしても行く気にならず延びてしまいました。東京から西へ行くのがはばかられて・・・
来週早々に行く事にしました。
故郷で充電して、喝を入れてきます。
皆様のコメントを拝見して、母にも会いたくなりました。
(意識はありませんが。)

残間さん、お心は満たされた事でしょうが、お疲れの事と思います。どうぞ、ごゆっくりお休み下さいませ。

昨夜10時からのNHK教育テレビの「ETV特集」に勇気を頂きました。「誰にでも必ず困難は訪れる。それをどう自分の中で受け止めていくのかはその個人次第。」と村木さん。また浅野さんがご自分のご病気のことを神様から与えられた使命と仰っておられたのが印象的でした。ご自分のお身体の状態を顧みず同じ御病気で苦しんでおられる方々のために奔走されているお姿に涙が止まりませんでした。浅野さんを支えておられる奥様の献身的なご様子にも感銘を受けました。

5月10日に教壇に戻られるとのこと。その日に向けてご自宅で真摯にトレーニングなさっておられる浅野さんを多くの学生さんが待っておられることと思います。これからも沢山情報を発信して頂ければ気持ちの支えになります。今後ともよろしくお願いいたします。お二人のご活躍を心よりお祈り申し上げます。

クラブウイルビーでも浅野さんの情報を発信していただけると幸いです。

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フォトアルバム

5月16日(水)

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開業間近の「東京スカイツリー」を見上げる。

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江戸の四季をモチーフにしたというエレベーターの内装。

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真新しいユニフォームを着たスタッフ。

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340mの高さから下を覗く。

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地上451.2mから眺める景色。

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最高到達地点「ソラカラポイント」にて1枚。



5月11日(金)

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打ち上げ会場での「虎姫一座」



5月8日(火)

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昭和のスターたちを支えた「花やしき少女歌劇団」(小・中学生の少女たちで結成された)

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浅草のランドマーク「浅草公会堂」



5月6日(日)

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手足とも緑色に。



5月5日(土)

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手際よく芝の手入れをする学生。

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雄大な八ヶ岳連峰を仰ぐ。

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花の直売店。

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熱気球体験も人気。

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野菜の直売所(他に乳製品の直売所もある)

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「諏訪大社御柱祭」で曳行されたご神木。



5月3日(木)

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2キロの蕗の皮。

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虎姫一座+サエラの「公会堂で逢いましょうin浅草」稽古風景(5月11日18:30より浅草公会堂で開催)

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熱心に指導をする大里プロデューサー。



4月30日(月)

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港区コミュニティバス「ちぃばす」初体験。



4月29日(日)

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法話室にて、僧侶と。



4月21日(土)

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神楽坂・毘沙門天で、しめやかに営まれた。

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品川駅近くで見つけた、名残の桜。その1

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その2



4月18日(水)

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1986年に公開を始めた「窯のある広場・資料館」

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施設を案内してくださった、辻館長。



4月15日(日)

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初めて搭乗した「スターフライヤー」

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楽屋を訪ねてくださった、田島元通さんのお父さんと。

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「いろはクラブ」のみなさんが楽屋に用意してくれた、郷土のお菓子と柏餅。



4月7日(土)

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茅山荘の坐禅会。インド、ブラジルから帰ったばかりの藤田一照さん。

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お花見をするニシダさんと母。



4月6日(金)

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加賀乙彦先生とツーショット。

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willbeメンバーに囲まれた加賀先生。



4月4日(水)

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試食会で、ファミマスタッフと。手の中には、秘密のデザート(5月中旬発売予定)



4月3日(火)

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霞ヶ関ビル1階に飾られていた、桜の生け花。



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書籍情報

人と会うと明日が変わる

人と会うと明日が変わる  残間里江子

【著者】
残間里江子
【出版社】
イースト・プレス
【価格】
1,470円

引退モードの再生学

引退モードの再生学 残間里江子

【著者】
残間里江子
【出版社】
新潮社
【価格】
500円

モグラ女の逆襲
~知られざる団塊女の本音~

モグラ女の逆襲 ~団塊女の知られざる本音~ 残間里江子

【著者】
残間里江子
【出版社】
日本経済新聞出版社
【価格】
1,575円

それでいいのか 蕎麦打ち男

それでいいのか 蕎麦打ち男 残間里江子

【著者】
残間里江子
【出版社】
新潮社
【価格】
1,470円

プロフィール

残間 里江子【プロデューサー】

1950年仙台市生まれ。アナウンサー、編集者などを経て、企画制作会社を設立。 プロデューサーとして出版、映像、文化イベントなどを多数手がける。著書多数。