7月29日(金)30時55分
♥インターネットは、
今のところ、
正常稼働しているようなので、
みなさんのコメントを読んだり,
ニュースをチェックしたりして、
日本を「想って」います。
敦煌滞在2日目。
いやぁ、今日は歩いた、歩いた。
歩数計は13234の数字。
多分、最多記録だと思う。
今日最初の日程は、
「敦煌研究院」の樊(はん)錦詩院長を、
表敬訪問することだった。
樊先生にお会い出来るのは、
とても光栄なことで、
実は今回の旅行の中で、
私が最も楽しみにしていた行程だった。
行く前に読んだ、
王家達著の「敦煌の夢」によれば、
樊先生は「敦煌の娘」とまで、
言われている方だ。
☆彼女は、
未熟児で生まれ、
幼い頃小児麻痺に罹り、
腰から下が不自由だったという。
長い時間をかけて、
闘病生活を送ったのだが、
体調は思わしくなかった。
このことが影響して、
樊先生は医者を志すようになるのだが、
「この身体では医者は無理」と、言われ、
方向転換を余儀なくさせられ、
毎日図書館に籠って、
ひたすら読書に明け暮れたのだった。
1958年、
彼女は北京大学史学考古学科に入学し、
在学中受けた閻文儒教授の、
「石窟芸術」の講義に魅せられ、
将来を考古学に託す決意をしたのである。
やがてずば抜けた成績で卒業する頃には、
身体も大分よくなっていたので、
近く大規模な補修工事が始まると言われていた、
敦煌にある「莫高窟」の、
発掘・調査研究職を志願し,
「西域」と言われる、
遠方の敦煌行きを決めたのだった。
当時彼女には、
将来を約束した同級生がいて、
彼は卒業後は、
武漢の大学で働くことになっていた。
ほどなく二人は結婚をするのだが、
一緒には住めなかった。
「もう少し待って」と彼女は言い、
「何年待てばいいの?」と彼が聞くと、
「2、3年だけよ」と彼女は答えたのだが、
結局、彼女は30年以上も、
敦煌に行ったきりになるのだった。
息子が二人生まれるのだが、
世話をしたのは夫だった。
彼は子育てをしながら、
武漢で暮らしていた。
彼は疲れ果て、
健康を害し、頻繁に高熱を出した。
子どもたちも母を欲し、
「早く帰って来て」という手紙が、
しょっちゅう届いた。
......肝心なことを書き忘れたが、
「莫高窟」とは、
敦煌の東南25キロに位置する、
断崖に開削された大規模な石窟群。
366年に楽そん(PCに漢字が無い)という、
僧によって造営が始まったとされている。
(莫高窟は5世紀から15世紀までの、
約1000年にもわたって、絶え間なく、
宗教芸術を開花させ続けて来たのだが、
その間にこの地域はさまざまな民族によって支配され、
そのうち盗窟などにも遭いながら、
湿気の無いこの地の気候のお蔭で、
今日まで壁画や仏像がしっかり保存されているのである。
映画[敦煌」は、民族間の紛争と、
莫高窟を守る男たちの話が描かれている)
☆樊先生は、
涙を流しながら、
子どもたちからの手紙を握りしめ、
こみ上げる悲しみに打ちのめされながらも、
敦煌を去ることが出来なかった。
深い悲しみとともに、
まんじりともせずに朝を迎えると、
彼女は早朝の石窟に入り、
壁画や仏像と向き合って,
心を鎮め、
思いを紛らわしていたという。
家族と離れ、
風と砂埃の中で33年間、
考古学者として「敦煌学」の考証と、
研究に全力を注ぐ樊先生に、
私ごときを重ねるのは、
あまりにおこがましいことではあるが、
それでもお会いしたら、
その不屈の精神のほんのひとかけらでも、
分けていただきたいと思っていたのである。
......そして、
実際に「敦煌研究院」の会見室でお会いした、
樊先生は赤いチェックのブラウスがお似合いの、
華奢で愛くるしい方だった。
(上野千鶴子さんをお茶目にした感じ)
私は著書にサインをしていただき、
並んで写真も撮らせていただいた。
その後の歓迎昼食会では、
簡単な自己紹介のあと、
ご家族の近況をお聞きしたところ、
ご子息の一人は鉄鋼関係の仕事に就き、
もう一人はコンピュータの世界で仕事をしており、
ご主人は樊先生より一足早くリタイアをして、
今では夕暮れ時に二人で散歩などしながら、
静かに暮らしているのだという。
お忙しくて、
関係者でさえ、
なかなかお会い出来ないという樊先生に、
こんなにも近しく、
お話をさせていただいたり、
莫高窟の、普通はなかなか見せていただけない、
壁画や仏像を拝見出来たのは、
長年日経新聞社がこの「研究院」を助成し、
ここで働く若い留学生を日本の大学に、
受け入れて来たからで、
莫高窟の入り口には、
そのことがパネル展示されていた。
莫高窟は全部で735窟あるのだが、
光や見学者の排出する二酸化炭素による劣化を避けるため、
非公開にされているものも多く、
さらに目下「北区」は修復のために閉鎖中なので、
見学出来る石窟は限られているのだが、
(その日の状況で、見学コースは、
ガイドさんに任されているらしい)
私たちは午前と午後で、
11の石窟を見せていただいた。
その中には、
「莫高窟で最も美しい仏さま」として有名な、
第57石窟の菩薩像や、
寝姿の美しさとお顔の優美さが評判の、
第158石窟の涅槃像などもあり、
時を超えて存在する美しさに、
身も心も清められるような気がした。
またしても、
.....長く書きすぎました。
スミマセン!
いつもならそこに、
相当珍しいものがあったとしても、
さほど心が動かない私も、
敦煌には「またいつの日か来てみたい」と思わせられる、
まさに、樊先生のような冷静沈着な方をも虜にする、
魅力を超えた「魔力」があるような気がした。
★夕方からは(砂漠の暑さを避けて)
鳴沙山・月冴泉に行き、
生まれて初めて駱駝に乗った。
(旅の写真は、帰国後(来週)掲載予定ですが)
駱駝の上の私は、
「ロバに乗る小学生」のようだと言われた。
(もちろん、遠景です)














































敦煌の旅 残間様の心と身体にすごいエネルギーを
そそいでいるのが、文面から溢れて見えます。
はん先生との出逢いも素敵ですネ
一途に打ち込む真摯な生きざまは、なかなか
残間様と二重写しに私には見えます。
夕暮れ静かに歩けるヒトがいないところは
ちょっと違っているようですが。
魅力をとうり越して「魔力」を感じる
そんな興奮を体験したいものです。
咳婆が顔を出す暇もない 素敵な旅の
続報楽しみにお待ちしてます。
敦煌には「またいつの日か来てみたい」と思わせられる、
まさに、樊先生のような冷静沈着な方をも虜にする、
魅力を超えた「魔力」があるような気がした。
この言葉がすべてを集約しているようです
敦煌のすばらしさが目にうかぶようです!
リエコ様も中国のエネルギーをいっぱい吸収されて
なにやら元気いっぱいになられていうるご様子
そして「感動」は人に鋭気を授けてくれますね♪
なんたって今回のメッセージには
「咳婆」が一度も顔を出さなかったですもの(笑)
今日のブログを読ませていただいて、
残間サン、やっぱり作家だなぁ、と思いました。
残間サンの書く旅の連作短編集、読んでみたいなぁ。。。
ぼくの喉のところに咳爺が遊びに来ています。
気に入って住み着いたりしないといいんですけど笑
これから渋谷にピアノコンサートを聴きに行きます。
咳爺に大人しくしているようにいい聞かせているところです。
毎日、中国の連載旅日記を楽しく拝読しています。
残間さんの卓越した文章力で、優しさとユーモア溢れる残間さんのお人柄と現地の方々との交流、そして壮大で魅惑的な中国の映像が目に浮かぶようです。
ハードに行動されていますが、ジムで鍛えた(?)効果が生きているのでしょうか。
PCも咳婆も、旅の終わりまでご機嫌良く静かにしていてくれますように。
ポニョさん、咳爺じゃなくて、咳女か咳姫かも。
気に入られて住みつかれないように。。。お大事に!
素敵な(魅力的)人、との出会い、又、訪れたい場所、
に出会って素晴らしい旅ですね。
今日のブログには咳婆は登場せず安心です。^^
ポニョさん、咳爺...では可哀そうまだ若いのにせめて
咳あんちゃん...喉飴と水を持参して下さいね。
残間さん、お元気で旅行されているようで何よりです。
残間さんのブログを拝見して、私も敦煌に行ってみたくなります。
本日は最多記録で歩かれた由、足は大丈夫ですか?
私は、少し歩くと、ふくらはぎじゃなくて、左の足の裏が
つるような感じで痛くなって不快なんです。
靴のせいなのか、歩き方のせいなのか・・・
帰国されてからの旅写真のアップも楽しみにしています。