8月29日(月)31時25分
ナカヤマが、
「プレミアムナイト」が終わるのを待って、
つかの間の夏休みをとっているので、
会社は静かな1週間の幕開けだ。
(決してナカヤマがウルサイというのではなく、
何となく火が消えた感じ)
私は9月にリニューアル予定の、
club willbeHPのデザイン案をチエックしたり、
今週末から始まる「willbeアカデミー」の、
教授陣の著作や資料を読んだり、
明後日お会いする「グランフロント大阪」の、
トップインタビューの資料読みをしたり......と、
夕方まで事務仕事をして過ごした。
夜は打ち合わせが1本あり、
久しぶりに会った同世代の男性が、
20歳ぐらい年下の女性と暮らしはじめたと聞いて、
今までなら、
「ふ〜ん」という感じ(どちらかというと否定的)の、
反応なのだが、
今日は、
「生きているうちに、
好きなことしたほうがいいですよ」と、
彼が抱えている「私的環境」を知りもしないのに、
応援コメントを述べてしまった。
それというのが、
その少し前に大野真澄さんから電話が入って、
「元気?僕?最近葬式にばかり行っているんだよ。
このところだけで5つ、いや6つかな。
みんなほゞ僕たちの世代なんで、
何だか考えさせられるんだよね」という、
話を聞いた直後だったからなのだと思う。
......そして夜。
明日締め切りの、
映画評を書くために、
資料映像を見せてもらったのだが、
これがまた考えさせられる作品だった。
作品名は「エンディングノート」
エンディングノートとは、
もしもの時に備えて、
自分の思いや願いなどを書き残す、
「遺書」のようなもので、
遺書よりはフランクで、
公的効力を持たない、
「覚書」のようなもののことだ。
(お葬式はこうして欲しい。誰と誰に連絡をしてほしい。
預貯金、保険、株、クレジットカードなど、
金融関係の書類の在り場と今後の指示。
財産や子供、孫などに望むこと......等々)
これが物語ではなく、
ドキュメンタリー、
しかも癌告知をされた父を、
実の娘が撮ったという作品で、
いわば「身内」を撮影したセルフドキュメンタリーだ。
「とりわけ団塊世代のみなさんに、
観ていただきたい映画なので、
先ずは残間さんに是非観ていただきたいと、
思いまして」との要請で観ることになったのだが、
正直のところ、
積極的に観たい作品ではなかった。
お借りしてから、
萬田さんのパートナーの死もあって、
視聴DVDを視野に収めながらも、
何日も仕事机の上に置いたきり、
どうしても観られず、
締め切りギリギリの今夜、
観念して(?)観たのだった。
......結果、
温かくて、明るくて、少し哀しいけれど、
実に清々しい作品だった。
私も是非、我らがwillbe世代に、
観て欲しいと思った。
「いつ死ぬか解らないから......」は、
何にでも使える便利な言葉で、
「いつ死ぬか解らないから、
今日を頑張って生きる」と言う人と、
「いつ死ぬか解らないから、
欲望のおもむくまま、
やりたいことだけをやって生きていきたい」と、
言う人がいるのだが、
それなら「期限」を切られた時、
人は(あなたは)どうしますかと、
問いかけられているような内容なのである。
これだけ沢山の人が癌になるこの時代、
「余命」を宣告されることも、
珍しいことではなくなった。
つまり、
期限を切られる人が増えてるということだ。
あと1年、あと半年、あと3ヶ月......、
その時々をどう送るのか。
私もプロデューサーの端くれなので、
自分の「エンディング」は、
きちんとセルフプロデュースしたいと思っているのだが、
この映画の主人公・砂田知昭さんのように、
こんなにもオープンに、こんなにも明るく、
自分の最期をプロデュース出来るかどうか、
自信がなくなった。
ここで大きな役割を担ったのが、
娘さんの存在で、
彼女のレンズを通したからこそ、
甘えのない緊張感のある映像になったのだと思う。
彼女・砂田麻美は、
大学時代からドキュメンタリーを学び、
卒業後はフリーの監督助手として、
是枝裕和監督のもと、
映画制作に従事、
この作品が第一回の監督作品となる。
日頃から「仕事命」と公言していた、
猛烈サラリーマンの父は(砂田さんは69歳なので、
この表現がピッタリだと思う)
「娘の仕事」の前では感傷も妥協も許さず、
プロの被写体になっていた。
師・是枝監督の評。
「いやぁ面白かった。
それは主人公(父)のキャラクターもさることながら、
カメラを向けている人間(娘)の、
非常に冷静なふたつの批評性(撮られている者と、
撮っている私の両方に向けられた)によって、
アクロバティックに、
ドキュメンタリーとして成立していた。
それは人間の、生命の、家族の、
可笑しみと哀しみの両方に届いていた」
これが全てを語っていると思う。
......私もそろそろエンディングノートの、
下書きでも始めようかしら。
多分下書きばかり書いていそうな気がするが......。














































Zamma san,
I totally agree with your opinion.
Message from Vancouver.
Best regards,
SK
文化放送の「大人ファンクラブ」を聞いていたら
昨日で放送が100回を超えたとか…
この間始まったなと思っていたら
とりあえず、おめでとうございます!!
昔は人生50年
いまや60歳くらいで亡くなられても
「まだ、おわかいのにねぇ~」と言われる時代です
エンディング・ノートも余裕を持って書ける時代になった
長寿国である日本だからできることでしょう
自分の死のプロデュースができるなんて
なんて幸せなんでしょう♪
でも、死に際を考えて生きる
このことは、とっても重要なことであり
目的、目標を持つことは
有意義な日々を送れることに繋がるはずです
遺言書という堅苦しいものではないエンディングノート、私も書いておこうと思いました。
父の突然の旅立ち、母の突然の寝たきりになったことは、私に人生に突然があるという覚悟を与えてくれました。
なので、自分の突然もあるかも知れない、そうなったときに混乱しないように、もちろん財産はないけど、ほんの少しの私名義の預金の場所は、主人に話してあります。
それとカードの暗証番号などのことは娘に話して、解約を頼んでおきました。
その他、叶わないと思うけど散骨にして欲しいと言うことも。
書き込みしようと思いつつ書けなかった萬田さんのパートナーの死のこと。
萬田さんがどんな気持ちで病室と仕事場を往復していたのか?
私も母が意識が無くなり点滴の管に繋がれた状態で過ごしていた三ヶ月間、仕事をしていたので、休みの日、必死の運転(私の免許証はほとんど地元限定なので^^;)で毎週通い、話しかけても答えは無くても、顔を見て又次の週まで・・・との生活を繰り返しました。
最期の日の前日も出かけ、でも今回は駄目かも知れないと、朝仕事を簡単に片付けて駆けつけるつもりの時の訃報でした。
そしてこの夏も、すぐ下の弟に突然が訪れました。
病魔に襲われていたのに仕事をし続け、大丈夫だから来なくていいと、仕事をしている義妹を気づかい、それでも駆けつけたら尋常でない状態で、救急車で搬送され、子供たちも間に合わない旅立ちでした。
ちょうど残間さんと同じ年、萬田さんのパートナーの方と同年です、多分。
順風満帆だったと思うサラリーマン生活捨て、自分で仕事を立ち上げ、それもうまく行かずに苦しみながらの人生。
楽な生き方もあった筈だったけど、あえてそれを選ばずに愚直な人生を歩んだ弟を、今は誉めてやりたい。
後半は生活のため、家族とも離れての暮らしだったので、家族はもちろん私たち姉弟、周りの人たちに多くの想いを残しての旅立ち。
特に私は姉として(13ヶ月しか違わなくて私が早生まれだったので、学年は2学年違い)厳しい事を言わざるを得ないこともあったし、言ったし
色々思うことがあるし、それは私が生きている間背負って行くことだと思っています。
苦しみながらの人生を全うしたことは尊敬したいし、母の年を越えれなかったことは残念だけど、今は両親初め懐かしい人たちと会っていることでしょう。
今日の残間さんの記事を読んで、私的なことだし境遇の違いもあるのですが、同じ思いをしていると思う萬田さん、弟家族に少しずつ時薬が効いてくれることを祈りながら、今日は達郎さんの『さよなら夏の日』を繰り返していました。
達郎さん自身は
*夏の終わりにガールフレンドとプールに行って夕立に会い虹を見たという、高校の時の思い出を多少粉飾(?)して作った*
と、アルバムの曲説明に書いています。
でも、今の私には人生への別れの曲に思えるのです。
『エンディングノート』観たいです。
映画館は無理なのでDVDを探します。
長くなってしまってごめんなさい。
以前、”ending note"についての記事が朝日新聞の生活面に載りました。すでに6人の友人知人を癌で亡くしている(5人は私より若いのです。)私はその記事に強く惹かれ、早速自分のそれを作るべくノートを買いに行きました。
残るものだから、思いっきり素敵な特別のノートを探しました。
しかし、よくよく考えるとなぜか空しく、シンプルで目立たない方がと思い直し、平凡な大学ノートに決めました。
3人の子供達に伝えるべく、折々に感じた事を書き綴っています。もちろん、私が死んだ後に読むという事は想定していますが、決して感情的でオーバーにならないように、しかし心を込めて、簡潔に書くように心がけています。
これを書くに至ったもう一つの理由は、親の死後、残された子供達がその私的遺品、衣類、書物、写真手紙類の後始末に大変苦労するという記事を読んだからです。
最近はプロの片づけ屋がいて、料金を支払ってそれらの遺品を処分して貰うというのです。広さごとに料金が決まっていて、結構な費用がかかりますが感情移入することなく、
businesslikeにさっと処理してもらう方が便利だというのです。
私は死後とはいえそれでは空しいのでノートに書き記し、同時に今流行りの「断捨離」にいそしんでいるのです。
「死は盗人のごとく。。。」といいます。
その事ばかり考えて生きてる訳ではありませんが、心のどこかで絶えず意識する必要はあるのでは、そういう歳になったとは実感しているのです。
映画「エンディングノート」機会があれば是非見たいです。
S.K.さんの英語のコメント、おしゃれで親愛の情がこもっていて素敵ですね。日本語ではあのようにはいきませんよね。短くてもど真ん中をつく、矢の様な文章が書けると嬉しいのですが。。。
願わくは花の下にて春死なむ
その二月(きさらぎ)の望月のころ
エンディングノートとして
これ以上見事なものはないんじゃないかとぼくは思います。
二月の望月のころというのは単に桜の美しい日に、ということではなくて
お釈迦様が入滅したのと同じ日に、ということで
出家した西行にとってはこれ以上の日はなかったんですね。
忌日とて西行桜ちりにけり 青木月斗
実際は陰暦2月16日に亡くなった西行だけれど
あまりに日本人のメンタリティに合った美しい句を作っちゃったもんだから
後の人が「惜しい!!」と嘆き
「涅槃の日に亡くなったことにしてあげようよ」といって
今も2月15日の晩に西行忌が行われている程で
今度はさらに桜の方が西行に合わせちゃったという
そのくらい素敵なエンディングノートなんだよなぁ。。。
残間さま、思えば今から30年も前のこと。某テレビ局の新人として始めてインタビューの仕事を命じられ、お会いしたのが残間さんでした。22才のひよっこに、アドバイスをくださったことは、今でも私の大切な思い出として残っています。その後、陰ながら応援しておりました。
そして今回Ending Note を御覧になったと知り、私もこの夏、東京滞在中に鑑賞する機会があり、涙と笑いなくしては見られない素晴らしい映画でした。砂田監督とは友人関係ですが、まさかあれだけの大作を作り上げるとは、、、。びっくりしました。そして私も離れている家族のこと(普段はNY在住のため)親のことを想い胸が熱くなりました。残間さまが応援してくだされば、鬼に金棒。私もNYからエールを送りたいと思います。
今後も残間さまのご活躍を期待しております。