10/29(土)つくばの秋、素敵な学生たちに囲まれて。

icon_zamma.jpg10月29日(土)34時48分
第1178回

今日は筑波大学で、
大学生と大学院生に講義をした。

過日の、
東北大学での講義もそうだったのだが、
大学生の前でする講義は苦手だ。
ガラではないような気がするし、
息子の友達の前で話をしているみたいで、
何とも格好がつかない感じがするのである。

しかし、
今回の講義は、
JAPIC(日本プロジェクト産業協議会)と、
筑波大学のコラボレーション企画で、
一学期から三学期までの約1年間で、
JAPICの委員の大半が、
講師を務めることになっているので、
日頃のつき合いからして、
断るわけにはいかなかったのである。
(......それに、
秋のつくばに行ってみたい気もして......)

テーマは、
「世界に挑む産業界・官界トップによる、
連続リレー講義1・2・3」で、
1のテーマは「日本の課題と戦略」
2は「次世代を担うグローバル人材とは」
3は「グローバルプロジェクトで日本が目指すもの」で、
講義の位置づけは、
大学・大学院の総合科目で(試験対象)
講義の水準は大学院生1年生とした上で、
学部1年生にも若干配慮し、
補足してほしいとのことだった。

私は「2」の担当なので、
今、産業界が求めている「グローバル人材」について、
語ることになっていたのだが、
経済が立ち行かなく(なりそうに)なると、
急にこの手の話が出てくるような気がしているので、
最近言われている「グローバル人材論議」については、
やゝ「懐疑的」だという話から始めた。

「グローバル」という言葉が登場したのは、
2000年頃のことで、
それ以前は「インターナショナル」
その前は「国際畑」と言われていて、
「国際畑」や「インターナショナル」は、
主としてアメリカを意識して言われたことだったし、
今言われている「グローバル」は、
中国・インドを意識した、
アジアに向ってのことのような気がする。
(2050年にはアメリカ、中国、インドで、
GDPの70%と予想され、
日本は3%程度だろうと言われている)

だからなおのことなのだろうが、
日本経済伸長のための必須のこととして、
グローバル人材を、
一刻も早く育成・調達しなければと、
急に焦り出しているようにしか見えないのである。

1学期からの講義内容をみてみると、
「グローバル経済で活躍出来る、
グローバル人材の育成は喫緊の課題」との認識の下、
真面目なJAPICの先生方は、
その認識の延長線上で講義内容を考えているようで、
「グローバリゼーションと日本経済の行方」とか、
「グローバル競争時代に必要な意識と行動とは」とか、
「総合商社が求めるグローバル人材とは」など、
若い人たちが「グローバルの波」に乗り遅れないためには、
どうすればいいのかという内容が大半なのである。

しかし、
名実ともに「番外・異端編」の私は、
その線から外れた話から始めたのだった。

先ずは何よりも、
「グローバル人材を求めている企業そのものが、
果たしてどれだけグローバルな仕事をしているのか」を、
検証しなければならないし、
(自分たちの会社を『グローバル企業』だと思っていても、
厳密にはただ英語が必要な仕事環境になってきている、
という程度の会社も多いのである)

一概にグローバル人材といっても、
企業のどのセクションに配する人材なのか、
トップマネージメントにグローバル人材が欲しいのか、
日本の本社にいて海外の人材を采配する場に、
グローバル人材が欲しいのか、
海外企業を買収した会社が、
吸収した相手の会社の外国人スタッフと、
共に働くための人材が欲しいのか、
いずれ海外進出を考えているので、
今からグローバル人材を育成したいと思っているのか......等々、
それぞれどのような「グローバル人材」を求めているかについても、
しっかり考えなければならないのではないか、
というような、少しばかり「水を差す」話をしたのだった。

また、自分を「グローバル人材」だと思っているような人は、
概して鼻持ちならないし(「変な人が多い」と思うのは私だけか)
英語が出来ることと仕事が出来ることは別なので、
英語で話せばいいというものでもないと思うのである、
(これは私の「負け惜しみ」だが......)

たしかに、
国際社会での日本人の評価は下ってきてもいるから、
焦る気持ちも判らないではないが、
真に「グローバルな人」は、
domesticとglobal両面を持っている人、
もっと言えば、
ドメスティックな人ともグローバルな人とも、
うまくやっていける人だと思うのだが......。
これもドメ人間の(普通は「ドメ」とだけ言うらしい)
負け惜しみだろうか。

講義の後、
質疑応答の時間があり、
そこでハプニングがあった。

手を挙げた男子学生がいて、
彼の質疑に答え終わった時、
「あの〜僕、アルフォンスです」と言ったのである。
「えっ あのアルフォンス君?」
そこには、精悍な青年になった、
アルフォンス君がいたのだった。

彼は息子の保育園時代の同期生で、
小学生時代にドイツ人のお父さんの仕事の関係で、
一家はドイツに行ってしまったのだった。

小学校は別々だったのだが、
彼のお母さんと私が親しかったこともあって、
息子が12歳の夏、
息子に「生い立ち」について、
話しておかなければならないことがあったので、
ヨーロッパに母子旅行をした折りに、
ミュンヘンの郊外に、
アルフォンス君一家を訪れたのだった。
その後、一度東京に来た時に会っていたのだが、
それでも10年ぶりくらいなのである。

そう言えば、
筑波大学に留学したとは聞いていたのだが、
まさか今日ここで会おうとは......。
嬉しい出来事だった。
近々、息子も一緒に、
ご飯でも食べようと約束して別れた。

このあと、
私の前の講師(中外製薬の熊谷文男顧問)と、
その前の講師(キャノン総合R&D本部の篠田信比古上席担当部長)と、
私に対する学生有志の「個別面談」があった。
(熊谷さんも篠田さんも18時まで待っていて下さったのだ。
因に、篠田さんの講義テーマは、
「企業技術者にとってのグローバル化」
熊谷さんのテーマは「研究開発とグローバル化」で、
いずれも専門的で正統的なお話だった)

ほとんどの学生は帰ったのだが、
私の周りに集まってくれた、
数人の学生たちと話をした。
「将来は国際機関で働きたい」と、
言ったのは韓国人の女子留学生、
「日本人学生と一緒に何かをやりたいと思っても、
モチベーションが違いすぎて、
なかなかまとまらないのが淋しい」と、言ったのは、
マレーシアからの男子留学生。
他にも「帰国子女なのですが、将来は出版界へ進みたいです」
「世の中が少しでもフェアになるよう、
社会起業家を目指しています」
「既に大手商事会社に就職が決まりましたが、
今日のお話を参考にして、
会社の動向をしっかり見つめます」という男子学生など、
素直で真面目な学生ばかりだった。

......往路70キロ、
復路は大渋滞に巻き込まれて81キロ、
(帰りは予定を2時間近く遅れて帰宅したのだが)
150キロを越える秋ドライブは、
じっくり自分を見つめるにはいい機会だった。

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コメント(8)

素敵な出会いのつくばでしたね。

私も12月に初めてつくばに行くので楽しみにしています。

優秀な学生さんたちとの会話が何よりのプレゼントなのかもしれませんね。

後輩の人材育成について、身も心も悩ましい日々です。でもときどき、「実習生としてお世話になりました。」などど言ってくれる後輩がいることで、元気をもらっている自分です。後輩に伝えたいことありすぎて、伝わらないのかな?と反省しつつ、また明日から仕事です。

グローバルな人材1970年大阪万博のテーマを想い出しました。「調和のとれた人間」だったような気がします。
調和よりグローバルが漠然として・・・解かりにくい?
調和が漢字で日本人には理解し易い・・グローバルな人
懐かしい単語コスモポリタン・・これも1960~1970代の
のものですか?今は死語に近いですか?
コスモポリタンだけは私コスモポリタンなのって言うのは
いいけど、グローバルな人と調和のとれた人は自分ではなく人が感じてくれるもの、だけど・・感じ方も千差万別
定義がむずかしか!!!あ~~~何を言ってるのか奥歯を噛みしめました!普通のおねぇなのに力がはいりました。(^^;さあ~夕ご飯の用意しま~す。

>「次世代を担うグローバルな人材とは」
何ともタイムリーなテーマですね。
私も出来るなら透明人間になって最前列で拝聴したかったです。
ポニョさんも述べておられましたが、先日のユーストリームの生中継を拝聴した時、つくずく思いました。
こんな授業を大学時代に受けたかったと!!!

田舎の女子大の講義なんて、本当に面白くなかった。
夏休みとかに都会の国立大の教授がアルバイト(?)で出張集中講義をするのです。大教室で大人数を前に!
自他共に認める真面目学生だった私も、この時期からはじけましたね。
教授から一番遠い席で寝るか、ノートで隠してひたすら本を読んでいました。
後は代返(と言っても周って来る出席表に〇をつけるだけ)
を頼んで、近くの洋画専門の安い映画館(当時は古い洋画の3本立てとかやっていました。)でひたすら映画鑑賞。
一生分の洋画を見て、生きた英語の勉強(?)に励みました。
授業料を出してくれた親には申し訳なかったけど、この時期に私の豊かな(?)感性は作られた気がします。

あーあ、あの頃残間さんの「番外・異端編」の講義があれば
それこそ一語一句もらさず拝聴したでしょう。
そして、もう少し複眼で世間を見渡せる思慮い"global”な人間になっていたかも・・・
「たら、れば」の話です。

残間さんのように沢山の人と繋がっていると、思いがけないドラマ、ハプニングがあり、残間さんの日常は私にとって非日常です。毎日ブログを拝見するだけでワクワクします。
感謝しています。

つくば~懐かしいです。
11年前に5年ほどつくばのお隣の土浦市に住んでいて、
つくばにも図書館やお茶しに行ったことが懐かしく思い出されました。
「秋のつくばに行ってみたい気もして・・・」
仕事プラスアルファ~人生を楽しむ一言ですね。
私は今以上に人生楽しむべく今週は白内障の手術です・・・

大学受験の時、ラジオ講座の「百万人の英語」を聴いていました。
その時の講師の中に同時通訳の神様といわれ
日本テレビのニュースキャスターをされていた國弘正雄先生がいらっしゃいました。
ある時、先生の著書をプレゼントするという企画があり
講義を聴いているうちに先生のファンになった18歳のポニョは
ハガキに感想をビッシリ書いてJOQR宛に送ったのです。
(当時のポニョは筑紫哲也サンと國弘先生に憧れていて
ジャーナリストになりかったのです)
しばらくして文化放送から重みのある小包が届きました。
開けてみると1冊の本と、手紙が入っていました。
(本の扉に「分け登るふもとの道は多けれど同じ高嶺の月を見るかな」という
一休の句とサインが書かれていました)
抽選にはハズレたのですが、國弘先生がぜひあなたに、と仰るので
めんどくさいけど本を送るからヒルネのマクラなんかにしないでちゃんと読むようにと「百万人の英語」の編集部の方が書いていました(原文のままではない笑)。

その後、先生と何度かお逢いする機会があり
同時通訳の神様はよく「英語を学ぶことを目標とするのではなくて
『英語で何をするか』が大事なんだよ」と仰っていました。
ある時、今、何を学んだらいいでしょうか?と恐る恐る訪ねると
「日本史だね」と先生は即答されました。
つまり、国際人(その頃はこういっていたと思います)たるには
まず自国の文化に精通していなければならない。
英語はその手段に過ぎない。
英語で訴えたいものがなければ、英語が流暢に喋れても意味は無い。
ということなのだな、とバカポニョは思いました。
(思っただけで、自国の文化も英語も勉強しなかったので2浪しました笑)
同時通訳の神様は日本文化、別けても鎌倉仏教に精通しておられました。

話は銀座に飛びますが、ある日曜日
製薬メーカーのスーダラ営業マンだったポニョが
銀座の教文館書店の横を歩いていると突然、涙がハラハラと零れて来たのです。
何だか意味がわからなかったんですけど。。。
その時、突然4丁目の交差点の方から「上を向いて歩こう」が聴こえてきて
あまりのタイミングの良さに笑いつつ泣きつつフラフラと歌声の流れてくる方向に
吸い寄せられて行くと、そこにはアメリカ人の青年がいて
背中にドラムの太鼓とシンバルを背負い、それを足で操作して、口にはハーモニカ
手にはギターという感じで、見事な演奏をしていたのです。
歌と口笛が物凄く上手くて。
演奏後、話しかけると(日本語で)彼は東京ジョーという芸名で
世界を周っているのでした。
仲良くなって、何度か彼の演奏につき合って、手拍子を打って盛り上げたり
投げ銭を集めるのを手伝ったりしました。
東京ジョーは何故かぼくがミュージシャン志望だと思い込んでいて笑
「いいかい、タク。オレのように音楽で世界を周りたいなら、
まず、自分の国の伝統音楽を勉強するんだ。外国の音楽はそれからだ」
と何度もいうのでした。
ぼくは別にミュージシャンになる気はなかったのだけれど
「わかった、ジョー。そうするよ」
と答えました。

今日、ウィルビーメンバーの栗林智恵サンの主催する
「季楽」の能楽体験会に参加しました。
東京オペラシティ近くの代々木能舞台という格式ある場所で
観世流シテ方の浅見慈一氏に、舞台に上がらせていただいて
能の基本の所作を教わって転びそうになったり、高砂を謡って咳き込んだり
お茶を飲んたり、お菓子を食べたりしてがんばりました。
能面の説明の時、鬼の面で、女性の鬼には大きな角があるのに
男性の鬼には角がないという事実にとても納得がいきましたが
周りは女性ばかりだったので、同意を求めることは控えました笑
能といってもテレビで観た事がある程度で、退屈だなぁと思っていたのですが
実際に体験するとそれはとても温かく、身体の中に自然に染み入るものでした。
テレビ番組の「番組」。
ドラマの脇役の「脇役」。
みんな能の言葉なんですね。

遅ればせながら、「和」の魅力に目覚めつつあるポニョなのでした。

とても長い話でスミマセン。
読んでくださった方がいらしたら、どうもありがとう。

筑波大学院のマレーシアから留学生です。

その日、考えを深くさせる話を大変ありがとうございます。

これからもみんなをまとめる力を身につけたいので、待つしかない時は気長く待つ。

まだチャンスがあったら、話を聞かせてください。

よろしくおねがいします

筑波大学の講義に参加した者です。

今回のお話は、他の講師の方と、一線を画するもので、すごく興味深かったです。

私も含めてグローバル化の流れに不安を持つ人は多いと思います。今回のお話は、私にも出来ることがあるという気持ちにさせてくれるものでした。

ぜひ、また来ていただける機会があるとうれしいです。

里江子さんへ
筑波大学の3年に息子が在学しています。
息子筑波大学で学ぶようにになって 何回つくばに通ったことでしょうか。
学ぶにはホントにいい街ですね。
自然あふれる大学構内も静かで大好きです。
ひとり散歩なんかしながら 息子がここで学ぶことが出来たことに感謝しています。
社会に出た時に大学時代がいい思い出となり 荒波を超える原動力になることを祈る母です。

久しぶりにブログに寄せていただいて 筑波大学での講義ののことだったので うれしいやら感激やらであわてて
コメントしてしまいました^^;

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フォトアルバム

5月16日(水)

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開業間近の「東京スカイツリー」を見上げる。

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江戸の四季をモチーフにしたというエレベーターの内装。

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真新しいユニフォームを着たスタッフ。

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340mの高さから下を覗く。

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地上451.2mから眺める景色。

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最高到達地点「ソラカラポイント」にて1枚。



5月11日(金)

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打ち上げ会場での「虎姫一座」



5月8日(火)

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昭和のスターたちを支えた「花やしき少女歌劇団」(小・中学生の少女たちで結成された)

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浅草のランドマーク「浅草公会堂」



5月6日(日)

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手足とも緑色に。



5月5日(土)

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手際よく芝の手入れをする学生。

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雄大な八ヶ岳連峰を仰ぐ。

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花の直売店。

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熱気球体験も人気。

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野菜の直売所(他に乳製品の直売所もある)

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「諏訪大社御柱祭」で曳行されたご神木。



5月3日(木)

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2キロの蕗の皮。

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虎姫一座+サエラの「公会堂で逢いましょうin浅草」稽古風景(5月11日18:30より浅草公会堂で開催)

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熱心に指導をする大里プロデューサー。



4月30日(月)

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港区コミュニティバス「ちぃばす」初体験。



4月29日(日)

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法話室にて、僧侶と。



4月21日(土)

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神楽坂・毘沙門天で、しめやかに営まれた。

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品川駅近くで見つけた、名残の桜。その1

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その2



4月18日(水)

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1986年に公開を始めた「窯のある広場・資料館」

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施設を案内してくださった、辻館長。



4月15日(日)

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初めて搭乗した「スターフライヤー」

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楽屋を訪ねてくださった、田島元通さんのお父さんと。

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「いろはクラブ」のみなさんが楽屋に用意してくれた、郷土のお菓子と柏餅。



4月7日(土)

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茅山荘の坐禅会。インド、ブラジルから帰ったばかりの藤田一照さん。

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お花見をするニシダさんと母。



4月6日(金)

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加賀乙彦先生とツーショット。

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willbeメンバーに囲まれた加賀先生。



4月4日(水)

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試食会で、ファミマスタッフと。手の中には、秘密のデザート(5月中旬発売予定)



4月3日(火)

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霞ヶ関ビル1階に飾られていた、桜の生け花。



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書籍情報

人と会うと明日が変わる

人と会うと明日が変わる  残間里江子

【著者】
残間里江子
【出版社】
イースト・プレス
【価格】
1,470円

引退モードの再生学

引退モードの再生学 残間里江子

【著者】
残間里江子
【出版社】
新潮社
【価格】
500円

モグラ女の逆襲
~知られざる団塊女の本音~

モグラ女の逆襲 ~団塊女の知られざる本音~ 残間里江子

【著者】
残間里江子
【出版社】
日本経済新聞出版社
【価格】
1,575円

それでいいのか 蕎麦打ち男

それでいいのか 蕎麦打ち男 残間里江子

【著者】
残間里江子
【出版社】
新潮社
【価格】
1,470円

プロフィール

残間 里江子【プロデューサー】

1950年仙台市生まれ。アナウンサー、編集者などを経て、企画制作会社を設立。 プロデューサーとして出版、映像、文化イベントなどを多数手がける。著書多数。