12/9(金)「42年前」は、ついこの間?

icon_zamma.jpg12月9日(金)34時22分
第1219回

朝10時半から、
調布の石原プロモーションで、
「栄光の5000キロ」を観せていただいた。

1969年公開というのだから、
42年も前の映画なのに、
古さは全く感じない。

それどころか、
良質な洋画を観ているような、
洒落た感覚で貫かれていて、
一緒に観た30代の男性は、
「僕が生まれる前に、こんな世界があったなんて、
想像していた映画と全く違っていました。
こんなにカッコいい日本があったんですね」と、
感心していた。

私は公開当時に観た記憶があるのだが、
ほとんどが、
車の疾走シーンだったような,
気がしていたのだが、
改めて観てみたら、
縦糸は石原裕次郎演ずるラリードライバーの、
「男の仕事」なのだが、
横糸に浅丘ルリ子演ずる、
ファッションデザイナーとの、
華麗なる恋愛が織りなされていて、
女性サイドから観ると、
パリ、先端ファッション、ホテル暮らし、
元カレのフランス人デザイナーとの京都の旅、
フランス語と英語が飛び交う世界......等々、
興味を引かれるシーンが多く、
スケールの大きな「女性映画」という、
感じがするのである。
(同行のナカヤマは最後に近い場面で、
ティシュboxを引き寄せて、
涙を拭いていた)

上映時間2時間55分。
最近の映画と比べたら、
格段に長いのだが、
ゆったりとした時間が流れているのに、
不思議なスピード感もあり、
「長い映画」という気がしなかった。

話題になっている、
由紀さおりさんのアルバム「1969」も、
1969年がテーマだが、
この年は、
由紀さんの音楽プロデューサーの、
佐藤剛さんが言ったように、
さまざまなことが分岐していく、
「特別な年」だったのかもしれない。

アポロ11号の人類初の月面着陸、
東大安田講堂攻防戦、紀宮清子内親王誕生、
人工甘味料チクロ使用禁止、
東名高速道路全線開通......等々、
国内外の変化の波が、
目に見える形で、
感じ取ることが出来た年、
という気はする。

この年話題になった映画は、
「真夜中のカーボーイ」「明日に向かって撃て」
「イージーライダー」などで、
これらアメリカンニューシネマは、
私たちの価値観形成に、
少なからぬ影響を与えたと思う。

庄司薫さんの「赤頭巾ちゃん気をつけて」が、
芥川賞をとり、
私の愛読書でもある、
佐藤愛子さんの「戦いすんで日が暮れて」が、
直木賞をとったのもこの年だ。
そう言えば、
男友達が羽仁五郎の「都市の論理」を、
アクセサリーのように、
小脇に抱えていた姿も思い出す。
(多分読了はしなかったハズ)

テレビは「水戸黄門」と、
「サザエさん」がこの年から始まり、
「サインはV」や「8時だよ、全員集合」も、
高視聴率を獲っていた。

この年の流行語というのが、
「あっと驚くタメゴロー」「オヨビじゃない」
「オー、モーレツ」「ハレンチ」
「エコノミックアニマル」などで、
そこには、
何となく軽薄で快楽主義的な、
「次なる日本人像」が、
見え隠れしているような気がする。


.........42年間は、
時間としては長いけれど、
今なおあの頃を引き摺っているという意味では、
それだけの時間を経ても、
人間というものは、
そう簡単には、
「進化」しないもののようだ。

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コメント(6)

1969年はもう42年も前何ですね…
残間さんが言うように、その頃の映画は長いけれど
時間がゆったり流れていて、それが自然な感じ…

いい意味での昔のよさ、昔に返ることも必要な
時代に入っているのかもしれません。

今日はそんなゆっくりゆったりの1日にしたいと
思います。

確かに1969から42年たったのですね、私は二十歳でした。あっと驚く為ごろうはいまでも私の中では現役です。
お呼びでない・・も現役です友人の間ではまだまだ受けますし場もなごみます。友人もみんな昔乙女ばかりですものね 笑 この流行語は一過性ではないと私も思います。  

1969年、私は中学2年でした。
当時からバリバリのロック少年だった私は、音楽に関する大きな変化を、肌で感じていました。

今聴いて、一番面白いと思うのは、1969年頃のロックです。
この頃からロックは、大きく変化していきました。

1969年は激動の60年代後半を受けつぎつつも、
1970年代への期待感もあり、高揚感がありました。

あの頃、我々は1970年代という新しい未来に、
まだ「希望」というものをもっていたのです。

あの頃の「暗い音楽」は、本当に暗いです。
しかし、その「暗さ」も現実に絶望感を感じながらも、
どこかでまだ未来への「希望」というものをもっている、
「若い勢いをひめた暗さ」だったと思います。


庄司薫さんは、私が一番好きな作家です。
全ての著書を、何度も読みました。
高校の頃、今思い出してもはずかしい稚拙なファンレターを
出しました。
あんな稚拙なファンレターでも、庄司薫さんから親切なお返事をいただきました。
庄司さんのお返事の真意は、当時はよく分からなかったのですが、
年をとってくると、あのお返事の意味が分かるようになってきました。

1969年、42年前。
私は新婚生活真っただ中でした。
夢のような、夢しかない、夢を見ていた時代でした。
1972年に長女が誕生して、何の疑いも無く
「良妻賢母」を目指して一本道をまっしぐらでしたね。
どのあたりから迷い道に入り込んだのか、思えば遠くに来たものです。

”カッコいい日本”
人も物も勢いと余裕がありました。
石原裕次郎はその象徴だった気がします。
私が見た邦画の主人公は彼のものが一番多いですね。
歌声も哀愁がありしびれました。
スターと仰いで憧れるに十分の存在感がありました。
美男(女)薄命(?)で彼が若くしてこの世を去った時は、私よりもあら環の母がひどくショックを受けて、落ち込んでいたのを覚えています。

自分の歳のせいか、何もかも薄っぺらで存在感が無くなって来たような感じがしています。
我を忘れて夢中になる事も無くなりました。
”進化”し続ける事は、至難の技なのですね。

残間様
1969年...残間様は青春真っ只中ですね、
私は...二人娘の子育てと内職(当時は自宅に居てする仕事を)真っ只中でした。
ベビ-サ-クルの中が私の仕事場だったり、
ピアノに男物の兵児帯で3歳の下の子を結び乍のまさに、
「戦いすんで日が暮れて」の毎日ある日、
お向かいの奥さんが「テレビを観せて」と来られました?
東京の長女から「今弟が出ている!」...
東大安田講堂...小母さんは泣き出しました、
こんな事をしていたとは、
お父さんのお給料を、頂いたらすぐ(当時は現金)、
「取ったか、見たか、そら送る」、
そんな中での自慢の息子えの仕送りでしたと、
地方から大学生活させるためにの親御さんの言葉でした。

「全員集合」「サザエさん」「水戸黄門」「サインはV」
上の子は「加藤茶」の真似をし私は夫に叱られていました。

社会人になってから、間もなく約半世紀経つのですね。

悠々さん、akaneさん、林さん、
なんとなく年齢がコメントから伺えます...
これからも未来に「希望」を持って「前に」と願っています。
我を忘れて夢中になれる事...無くなりましたが...でも、
熱中できる事はまだ在ると信じながら、
残間様、
メンバ-のお若い皆さんから「元気と知識」をいただきながら、
被災に遭われたお方の分も、生きている限り、
「夢・希望」を持ち続けて行きたいと思っています。

今このブログで残間様の童心に帰ったようなお顔可愛い!、
「ドラえもん・どこでも扉」楽しかったでしょう♪。

黒部ダムと並び困難を極めた、世界一長い海底トンネル、

青函トンネルが出来「吉岡トンネル駅」に短い間でしたが、
「ドラえもんワ-ルド」が出現...行きました~、
とても楽しく、!!??の海底トンネルでした。
孫を連れて行く前にと一人で行って来ました(夫は函館市街)。
大人一人は私だけでしたが「とても楽しかったです」。
確りした企画で☆マダマダ残して欲しいと思いました。

そろそろ防寒着を着て外に出てお月さまを見ましょう。
明日はまた吹雪の予報が出ていますので。

「お月さんねんね、もう夜が更けた」...?

 今朝も冷え込みました。
太陽の暖かさを背中に、ひといき入れながらブログを拝見してます。
 先週の金曜日に姪に誘われて表参道まで行って来ました。
交通の便が良くなって行きやすくなったのに、気持ちがなかなか動きません。246方面から原宿方面に向かって歩き、Uター
ンし反対側の路を戻って小さなレストランでひと休み。
遠慮がちに点滅しているイルミネーションが寒風に揺れていました。
 42年前二十歳の私と今二十歳の姪。両親はここ2年の間に亡くなり、筑波でネコと暮らしています。母親が私の妹で54歳で急逝、父親もすぐ後を追うように・・・
 それぞれの人生、さまざまな生き方、残間さんのブログは生きる日常が(毎日)歴史?ですね。
 様々な想いが交錯した、表参道の一日でした。

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フォトアルバム

5月16日(水)

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開業間近の「東京スカイツリー」を見上げる。

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江戸の四季をモチーフにしたというエレベーターの内装。

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真新しいユニフォームを着たスタッフ。

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340mの高さから下を覗く。

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地上451.2mから眺める景色。

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最高到達地点「ソラカラポイント」にて1枚。



5月11日(金)

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打ち上げ会場での「虎姫一座」



5月8日(火)

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昭和のスターたちを支えた「花やしき少女歌劇団」(小・中学生の少女たちで結成された)

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浅草のランドマーク「浅草公会堂」



5月6日(日)

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手足とも緑色に。



5月5日(土)

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手際よく芝の手入れをする学生。

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雄大な八ヶ岳連峰を仰ぐ。

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花の直売店。

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熱気球体験も人気。

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野菜の直売所(他に乳製品の直売所もある)

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「諏訪大社御柱祭」で曳行されたご神木。



5月3日(木)

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2キロの蕗の皮。

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虎姫一座+サエラの「公会堂で逢いましょうin浅草」稽古風景(5月11日18:30より浅草公会堂で開催)

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熱心に指導をする大里プロデューサー。



4月30日(月)

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港区コミュニティバス「ちぃばす」初体験。



4月29日(日)

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法話室にて、僧侶と。



4月21日(土)

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神楽坂・毘沙門天で、しめやかに営まれた。

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品川駅近くで見つけた、名残の桜。その1

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その2



4月18日(水)

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1986年に公開を始めた「窯のある広場・資料館」

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施設を案内してくださった、辻館長。



4月15日(日)

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初めて搭乗した「スターフライヤー」

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楽屋を訪ねてくださった、田島元通さんのお父さんと。

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「いろはクラブ」のみなさんが楽屋に用意してくれた、郷土のお菓子と柏餅。



4月7日(土)

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茅山荘の坐禅会。インド、ブラジルから帰ったばかりの藤田一照さん。

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お花見をするニシダさんと母。



4月6日(金)

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加賀乙彦先生とツーショット。

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willbeメンバーに囲まれた加賀先生。



4月4日(水)

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試食会で、ファミマスタッフと。手の中には、秘密のデザート(5月中旬発売予定)



4月3日(火)

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霞ヶ関ビル1階に飾られていた、桜の生け花。



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書籍情報

人と会うと明日が変わる

人と会うと明日が変わる  残間里江子

【著者】
残間里江子
【出版社】
イースト・プレス
【価格】
1,470円

引退モードの再生学

引退モードの再生学 残間里江子

【著者】
残間里江子
【出版社】
新潮社
【価格】
500円

モグラ女の逆襲
~知られざる団塊女の本音~

モグラ女の逆襲 ~団塊女の知られざる本音~ 残間里江子

【著者】
残間里江子
【出版社】
日本経済新聞出版社
【価格】
1,575円

それでいいのか 蕎麦打ち男

それでいいのか 蕎麦打ち男 残間里江子

【著者】
残間里江子
【出版社】
新潮社
【価格】
1,470円

プロフィール

残間 里江子【プロデューサー】

1950年仙台市生まれ。アナウンサー、編集者などを経て、企画制作会社を設立。 プロデューサーとして出版、映像、文化イベントなどを多数手がける。著書多数。