11月9日(金)28時18分
第1555回
仙台から従姉妹が、
30年来の親友、
ヨネちゃんと一緒に上京した。
「ヨネちゃんは、
りィ〜子ちゃん(私のこと)と、
会いだいって言うんださ。
すごぐ(「く」でなく)いい人なんだぁ〜。
(いったん上がり、最後は下がるイントネーション)
わだしよりもズーズー弁はひどいげど、
今も一緒にはだらいでいで、
どごにいぐのも一緒なんだぁ〜。
明後日の叔父さんの、
13回忌まではいられねぇんだげども、
うずの(うちの)お兄さんがら、
こどづがっているものもあるすィ〜」
電話で久しぶりの、
純正・仙台弁を聴いたのは、
3週間前のことだった。
あったかい響きだった。
今の若い人たちは、
テレビの影響もあって、
ほとんど標準語になっているが、
(イントネーションは、若干違うこともあるが)
私の小さい頃は、
「ズーズー弁」が主流だった。
我が家は、
父が生粋の仙台人、
母は生まれは大阪だったが、
幼少期から仙台育ちなので、
「純正・仙台弁」に近い言語体系だ。
テレビが家にやって来たのは、
我が家の経済状況からして遅めだった。
(小学校5年までは、
大晦日の「紅白歌合戦」を、
寒風吹き荒ぶ中を40分ほど歩いて、
叔母の家に行って観せて貰っていたから、
テレビが来たのは、
小学校6年と記憶している)
画面から流れてくる標準語を聞いた時、
既に私の言語体系は、
ほゞ形成されたあとだったから、
後にアナウンサーを志した時、
訛りやアクセントの矯正では、
かなり苦労した。
(「橋」と「箸」のアクセントの違い、
「欠けている」と「駆けていく」の差など)
2人は、
9時24分に東京駅到着(のハズだった)が、
なかなか我が家に来ないのだった。
私は、朝早くから会議があり、
母に朝食を食べさせたあとは、
ナカヤマがアテンドしてくれていたのだが、
11時にシズカさんとシフト交代をしても、
2人はまだ現われないのだった。
会議終了後、
このところ忙しくて、
月に一度の「手指ブロック注射」が、
打てずにいたため、
一昨日あたりから、
右手2本と左手3本が激痛のあまり、
動かなくなっていたので、
急ぎ注射を打ちに、
整形外科(手指科)に駆け込んだ。
左右合計8本の指に注射を打って、
家に着いたら、
午後1時を過ぎていたのだが、
2人は未到着だった。
従姉妹には、
事前に郵送で、
注意書きが沢山記された、
私製の地図を送っておいたのだが、
判らなかったのかもしれない。
13時半すぎ。
「こんにぢわ〜」
1階エントランスの、
オートロックの呼び出し音もないまま、
突然私の部屋の、
ドアフォンが鳴ったので、
扉を開けると、
そこには大荷物を抱えた、
従姉妹+ヨネちゃんが立っていたのである。
フロントの人が、
玄関前でウロウロしていた2人を、
部屋の前まで連れて来てくれたのだという。
「このひど、いっつも一緒のヨネちゃん」と、
従姉妹のトシコちゃん。
「ヨネ子ですぅ〜。
このたびは、
ごめいわぐかげですみません。
トシちゃんが、
一緒にいぐべぇっていうがら、
ついできてすィまったげど、
いそがすィひどなのに、
じぶんだちの予定ば優先させで、
わるがったねぇ。
あっ、わだすのよびがだは、
よねちゃんでいいがらねェ〜。
わだすは、残間さんよりふだづ(二つ)うえの、
昭和23年生まれだァ〜」
ヨネちゃんもあったかくて、
とてもいい人みたいだ。
「わだすぃだぢ(私たち)
ふだりで(2人で)いつぃにんまえ(一人前)なんだよ。
新幹線?うん、じがんどおりついだよ。
まるのうじぐぢ(丸の内口)にいっで、
ふぐげんされだ(復原された)
まるのうじのえぎをみで、
そのあど丸ビルで、
おいすぃ〜(美味しい)天ぷら蕎麦、
たべできたんだぁ〜」と、
トシコちゃんが言うと、
「んだげど、なんでだが、
えぎのドームっていうのを、
観るのわすれですぃまったんだよね。
あれ観るの、たのすィみだっだのに、
何で、わずれだのかねぇ〜」と、
ヨネちゃんは急に真面目な顔になって、
「なんでだべぇ。おがすぃねぇ〜」と、
漫才コンビのように、
楽しい2人なのだった。
「まぁ、いいから、いいからァ〜。
お茶飲んでくださいョ〜」
いつしか、私まで、
仙台イントネーションに、
「昔返り」しているのだった。
母と少し話をして、
2人はスカイツリーに行ったので、
私はその間会社で、
ジュディ・オングさんの、
ニューアルバムのことで訪れた、
レコード会社の人と打ち合わせをして、
夕食の支度のために、
家に戻ったのだが、
またまた2人は帰って来ないのだった。
「いゃぁ〜、
みぢにまよっで(道に迷って)すィまって〜」と、
トシコちゃんが言いながら、
帰って来たのは18時近くだ。
「だげど、東京のひどは、
すぃんせつ(親切)だねぇ〜。
みんな一生懸命になって、
みぢをおしえでくれるんだねぇ〜。
だげど、わだすだぢ、
すぐわがんねぐなって(判らなくなって)
またきぐど、今度はまだ、
つぃがったごと(違ったこと)を、
言うんだよねぇ〜。
銀座線だ、半蔵門線だって、
言われる度に、
そごさいぐんだげど、
よげいわがんねぐなっで......。
まだせですまって(待たせてしまって)
わるがったなぁ」と、ヨネちゃんが言い、
「いいんだぁ〜よォ〜」と、
私も答えたのだった。
ここ数日、
何となく塞ぎ込んで、
堅くなっていた私の気持ちは、
2人のお蔭で、
すっかり柔らかくなって、
気がつくと、
笑い転げているのだった。
よがずだ~
よがっだぁ~
よがづだねぇ~だべ?
心温まる光景が目に浮かびます♪
利害関係の全くない人とのふれあいは
「ほっ」とすることがありますね
何度 読み返しても 笑いが 込み上げてきますぅ~
あったかいですぅ。
私も、久しぶりに 優しい気持ちになれてますぅ。
トシ子さぁん~ ヨネ子さぁ~ん
東京 楽しんで 帰られてくださぁ~い♪♪
故郷の無いぼくには、とても羨ましいお話です。
両親とも立川近辺の出身なので、友だちのように長期の休みに
遠くのおばあちゃんのうちにいく、という楽しみもなかったし。
たまに遠い親戚にあたる人のところ(会津市)にスキーにいくと
ごはんの時など周りの人がみんな、ニコニコしながら
フランス語で話かけてくれて笑
チビポニョも意味がわからぬままマネをして笑われたものでした。
ぼくは最近、こどもの頃に聴いた「みんなのうた」やアニメソングなどを聴くと
一緒に遊んだ友だちを想い出したりして、じ~んとしてしまうことがあります。
残間サンにとって仙台弁は「子守唄」や「童謡」に近いのかもしれませんね。
東北の女性が土地の言葉を話す時は唄うようで
特にこの季節には、(いいな)と思います。
ポニョがまた何かドジを踏んだら、残間サンとナカヤマさんに、ぜひ、
「いいんだぁ~よォ~」とハモってゆるしていただきたいです笑
最近、「指」のことに触れられていなかったので
大丈夫なのかな、と思っていたのですが
書かれなかっただけなんですね。。。
残間サンが笑い転げることの多い日々でありますように。
残間様
「ヨネちゃん」会いだいって...そのイントネ-ション♪
良く分かります。
それにしても凄いですね~!
時間が掛かっても無事「りイ~子ちゃん」に会えだんですものね。
残間様お時間が有ったら駅まで出迎えたかった事でしょう。
実家の母を思い出しました、
普段は比較的標準語なのですが、時々来る幼友達との仙台弁での会話は!?
二人の話は子供の私にはとても難しい外国語のように思えました、
「ふるさとの訛なつかし停車場の...」母は良く口ずさんでいました。
実家は駅の近くでしたので、
駅長さんが観光客の中にズ-ズ-弁のお方がいらした時は、
お連れ下さり待ち時間の間我が家で「お茶とお菓子」の事も時々ありました。
そんなのんびりした時代も懐かしいです。
昨日インフルエンザ予防接種を受けながら、
残間様の指の注射の事を思い出し..痛いのだろうなぁ~と。
お大事に為さって下さい。
「ナナカマド」の赤が夕映えに美しい気温10℃の夕方です。
娘も東京暮らしがこちら(本州の北)で暮らしていた時より長くなったのですが、会えば途端にこちらの言葉。
東京のど真ん中でも。
たま~に来るショートメールもこちらの言葉。
息子は娘ほどではないけど、こちら弁^^。
何か嬉しいものです。
へば、今夜ははやぐ寝るして、おやすみ~^^。
(訳:じゃ、今夜は早く寝るので、おやすみ~^^。)
残間さんの手の指がそろそろ
有り難くない存在感を発揮し始める頃ではと
気になっていましたが
やっぱり忘れずに襲ってくるのですね。
ずーと共存するしか方法はないのでしょうか。
さらりと述べていられますが
大きな試練ですね。
方言はふるさとの匂いがします。
美味しそうな匂いに鼻がピクピク反応するように
ふるさとの訛りが聞こえてくると
耳がピンとなり、心にパッと灯がともります。
異郷(?)で聞くとなおさらで
自然と足がそちらに向かい
「どこ出身?」「〇〇よ」
ワー、キャー、と見ず知らずの方との距離が
一挙に縮まるのです。
そこに、ふるさとの風が吹いて
身体中が熱くなりますね。
ズーズー弁でヨネちゃんトシコちゃんと
話される残間さん
なぜかほっとします。
急ぎ足の時間が止まる瞬間ですね。
安らぎのひとときを過ごされたことでしょう。
いっぱいのエネルギーをいただいて
年末に向けてお元気にダッシュして下さい。