9月5日(日)23時36分
伊東にある「人参ジュース」の断食道場こと、
「ヒポクラティック・サナトリウム」に来ている。
毎年3ヶ月おきぐらいの頻度で来ているのに、
今年は時間がなくて今回が初めて、
しかもたった3泊だけだ。
到着が早過ぎたため、
部屋の用意がまだ出来ておらず、
しばらくロビーで本を読みながら過ごした。
伊豆の高原なのに、
日差しは強く、
暑さも東京と変わらない。
いざ、部屋に入った時には、
このところの蓄積疲労が一気に吹き出したのか、
激しい睡魔に襲われ、
ベッドにバタリと倒れ込んで、
30分ほど眠ってしまった。
その後、夕方まで、
「せねばならない病」を克服して、
「原稿を書かねばならない」ではなく、
「原稿を書こう!」の気分で、
(「書きたい!」まではいかないのは残念だが)
一文を完成させた。
午後5時.マッサージを受けて、
5時45分に、
夕食の人参・りんごミックスジュースを飲んだら、
時間制限のあるのは、
お風呂だけで(この棟は22時まで、本館は翌朝11時までOK)
当分「せねばならない病」は、
顔を出す余地がない。
今夜の「龍馬伝」は「寺田屋騒動」だったので、
久々ちゃんと観たら、
福山雅治が「いい顔」になっていた。
先日アミューズの大里さんに会ったら、
「最初の頃は、毎回、画面の中の福山に向かって、
『馬鹿やろう!そうじゃないだろ!
その顔はお前は得意じゃないんだよ!
ホラホラ、その芝居も違うだろう!』って、
怒鳴ってばかりいたから、
カミサンが同じ部屋で観たくないって、
他の部屋に行っちゃったんだよ。
最初NHKから話が来た時、
龍馬はお前には向かないって反対したんだけど、
あいつがどうしてもやりたいって引き下がらないんだよ。
それで、二人で3時間話したんだ。
そしたらあいつはあいつで、
既に自分なりの龍馬像を持っていて、
それが結構しっかりしていたんだよ。
俺を説得したかったからかもしれないけど、
勉強したみたいなんだよね。
『それじゃ、やってみろ』ということになったんだけど、
長丁場だからね、
途中俺が心配していたこともないではなかったよ。
でも、少しずつまともになって来たよね」
大里さんが「福山雅治」を語る時は、
実の息子を語る厳しい父のようになり、
自分からは誉めないのだが、
相手が誉めてくれると、
とても嬉しそうな顔になるのである。
(二人は実際に二十数年のつき合いで、
福山が売れない時代には、大里さんの家で、
今は結婚して母親になっている大里さんの娘さんの、
子守りをしていたのだという)
今は何でも「早く早く」という時代だが、
こうして一つの仕事とじっくり向き合うと、
技自体も成長するが、
自分の身近にいる仕事仲間に成長過程を見て貰えるのと、
(その分、手厳しい反応も返っては来るが)
自分自身がその足跡を実感出来ることで、
(「もどかしい」と思うこともあるだろうから、
嬉しいばかりではないと思うが)
いずれにしても、
この先の仕事にいい影響を与えるような気がして、
羨ましく思った。
(私も「club willbe」とじっくり向き合って、
自分を鍛えつつ、
メンバー各位にも鍛えていただきたいと思った)
大河ドラマだけにしておこうと思ったのだが、
(いつもはこのあとBSで「イ・サン」を観るのだが、
ここのテレビはBSが入らないので)
そのまま「NHKスペシャル」を観ていた。
番組表には「テロリストとアメリカ」とあったのだが、
緊急特番仕立て(だろうと思う)で、
「消えた高齢者〜無縁社会の闇」という番組に差し替わっていた。
この問題は、
「club willbe」の趣旨とも関わりがあるので、
関心を持ってみているのだが、
番組では、個別のケースを取り上げ、
独自の取材を展開していた。
とても丁寧なレポートで、
取材者の誠意が伝わったのだろう、
普通なら取材には応じないような人までが,
淡々と自分の「ケース」を語った。
ある80代の女性は,
生きていれば113歳の母と、
ここ何十年も会っていないと言っていた。
正直をいえば、
話の出だし部分を聞いた時、
「そんなこと,あるわけないではないか」と思った。
しかし、聞いているうちに、
[誰にでもあり得ることかもしれない」と考えが変わった。
インタビューに応じた女性はとても美しい人で、
若い頃は銀座の出版社で働いていたというから、
キャリアウーマンの先達である。
きょうだいは妹と弟の3人。
一時は彼女が母親に「一緒に住もう」と言っていたのだが、
母親は息子(弟)と一緒にいたいというので、
そのようにしていたら、
ある時母親が出版社に訪ねて来て、
弟が定職に就かないため、
住んでいるアパートのお金が払えなくなったと、
お金を貸して欲しいと言いに来たのだという。(その頃母は83歳)
その時、6万円を貸したきり音信は途絶え、
しばらくたってそのアパートが差し押さえられた、
という書類が来て(多分,彼女が保証人だったからなのか)
その後二人の消息は判らないのだという。
(その後NHKの取材で、弟は今路上生活者で、
母親は80年代に「親戚の家に行くと言って、
出て行ったきり行方が判らない」と語っているのだという)
「子どもが3人もいて、最期が判らないなんて......。
可哀想なことをしたと思います」
一瞬端正な顔が曇るのだが、
彼女とて、独身で仕事をしてきて、
今も一人住まいなのだから、
別世界の話ではないのである。
取材が終わって、
息子のような若い取材記者の男性に、
頭を下げて名残惜しそうに、
「お礼とお別れの言葉」を言っている姿は、
この番組の象徴的なシーンのような気がした。
44歳の男性の話も深刻だった。
自らも不自由な身体で仕事に就いていたのを、
親の介護で辞めざるをえなくなり、
父の年金と時々のアルバイトで暮らす生活になった。
やがて父が亡くなり、母と暮らしていたのだが、
今度は母が病気になり大手術をしたばかりで、
この先も予断を許せない状況だ。
「もし,万一母が亡くなったら、
頼みにしている母の遺族年金がなくなるわけで、
単身にはなりますが、
このご時世で僕に職が見つかるかどうか......。
最近のこの種の問題は、
僕自身の問題でもあるんですよね」
また、39歳の男性は、
かつては運送業をしていたのが、
やはり親の介護で仕事を辞めざるを得なくなり、
母を看取るや、今度は突然病に倒れた妹が急逝し、
昨年公務員だった父親を亡くした時には、
お金が底を突き、
お葬式もあげられならなかったのだという。
持ち家だったこともあり、
父の遺骸を2階に運んで、
「最近,あの家のお父さんを見ていない」という、
近所の人の通報で遺体が発見されるまで、
毎日お線香をあげて「ごめんね、ごめんね」と、
謝りながら手を合わせていたと言うが、
彼の身柄は今は執行猶予中である。
(そばの仏壇には母・妹・父の笑顔の遺影が飾られ、
丁寧にお祀りしている感じがした)
観ていて、本当に他人事ではないと思った。
私だって、いつまで仕事をしていられるか判らないし、
息子だって、どこでどんな不運が待ち受けているか限らない。
余程しっかりした基盤がない限り、
この時代は、
15年先,20年先の予測はつかないのである。
39歳の彼は繰り返し言っていた、
「相談出来る人が一人もいなかった」
という言葉を聞きながら、
地縁・血縁が無縁化する一方のこの時代の中にあっては、
自分で見つけた友を、
有縁の人にするしかないように思った。
......明日は「club willbe」の交流会。
配偶者に先立たれた人、最初からシングルで来た人、
離婚してシングルアゲインの人、
ようやく会社や家庭(子育て)から解放されて、
新しい「同志」を探している人......等々、
半数はwillbeイベント初参加の人たちなので、
私も新しい「出会い」を楽しみにしているところだ。
(9月30日には大阪でもやります。
近畿圏の方,お待ちしています!)
明日の会は皆さんの要望に応えて、
立食パーティー形式にしたので、
恒例の「1人1分間1言インタビュー」(残間担当)を聞いて、
(「あたり」をつけて......?)
自分のテイストに合った人を探して、
自由に仲良しになってください。
さて、これ以上起きていると、
お腹が空いてたまらなくなるので、
少し本を読んで、
寝すむことにしようっと。