- 残間
- 『タグボート』設立にいたる頃の話を
お聞きしましょうか。
- 岡
- それで15年ぐらいCMを作ってたんですけど、
1999年、電通が株式上場に向けて
大きく舵を切っていったんですね。
それまでは、ある意味
いい加減な(笑)ところがあったんですよ。
それが“立派な会社”になろうと
変わっていったんですけど、
その変化の中には、何時に会社に来て何時に帰ったか
タイムレコーダーに記録しろとか、
自分の勤務時間の何パーセントを
どのクライアントに充てたか計算しろとか、
つまり原価計算ですね。
- 残間
- そういうのもあるんですか。
- 岡
- しかも僕のように部下がいる場合は、
それを全部チェックしないといけない。
いろんな面倒くさい事が増えてきたんですね。
- 残間
- 立派な会社になるために管理体制が強化されたと。
- 岡
- でも上場に向けての会社の変化というのが、
クリエイティブにはまったく無関係なものだったので、
そこにエネルギーを費やしていくのは、
僕にとっては馬鹿馬鹿しくなってしまった
ということです。

仕事で外国に行く機会がけっこうあったんですけど、
どうも外国の広告会社というのは、
日本とかなり違うんですね。
外国ではクリエイティブが広告会社の中心で、
クリエーティブディレクター(CD)が経営者でもある。
だから会社にはCDは一人、多くて二人しかいない。
要するに広告の中身のクオリティで動いてるんだな、
ということがわかってきたんです。
じゃあ電通はどうなっているかというと、
CDが100人います。
45歳くらいまでつつがなく過ごすと、
みんなCDになれる。
CDは「部長職」と和訳されたのですね。
このシステムって何だろうと思い始めたんです。
電通に限らず日本の広告会社の利益というのは
コミッション、企業が媒体を買う時の手数料なんです。
欧米のように5%という決まりがないので、
そこで幾ら取ってもいいという独特な方式が、
日本の広告会社の繁栄を支えて来たんですね。
- 残間
- 手数料が3割とか言われているのは、
何となくの習慣なんですか?
- 岡
- 何となくです。
それで、その莫大なコミッションの陰に隠れてしまって、
代理店のクリエイティブへのフィーというのは、
当然支払われないんですよ。
少なすぎて請求もできないんです。
バカバカしい金額だから。
- 残間
- 全体のグロスに比べてね。
- 岡
- そうすると僕らの仕事って、
タダになってますよね。
- 残間
- サービスの一環みたいで。
- 岡
- 自分の企画が幾らなのかとか、
どれくらい価値があるものなのかとか、
会社を辞めない限りわからないなって思ったんですよ。
それでも個人でやってる方はいました。
コピーライターやアートディレクターとか。
でも会社としてやっているのは、
日本では例がないし、無理だろうと言われてましたが、
欧米の人たちの話を何度も聞いているうちに、
「そんなに難しくないんじゃないかな」
と思い始めたんですね。

- 残間
- 媒体を押さえている広告代理店から
下請けという形で発注を受けるんじゃなくて、
クリエイティブに特化した広告会社として、
企業に直接、広告やキャンペーンの企画を
買ってもらうということですね。
グリコのオマケじゃないですが、
媒体を買う時の手数料のオマケじゃなくて。
- 岡
- CDがいて優秀なスタッフがいて、
クライアントが依頼してくれれば成り立つわけです。
しかも借り入れはないし、在庫のないビジネスだから、
こりゃ僕でも出来るんじゃないか(笑)、
と思ってきました。
その時に、ちょうど僕の部下で何人か
会社を辞めたいって、言ってきてたんですね。
それまでは止めてました。
管理職としての自分のキャリアに
差し障りがあるので(笑)。
でも僕も辞めたいと思った時、
そういえばあいつらも辞めたがってるなと。
だったら一緒にクリエイティブ・エージェンシーを
やってみようかと思ったわけです。
最初は彼らも文句を言ってて、
「自分のキャリアをいたずらに傷つけるなとか、
さんざん止めてたくせに、
自分のタイミングで辞めるんですか」
と怒ってましたけど(笑)、
まあ三人の部下と一緒に辞めて会社を始めました。
それから後は、
クライアントを紹介してくれる人もいて、
会社が回るようになっていきました。
もちろん今では、電通や博報堂とも
チームを組んでやることもあります。
- 残間
- 昔だったら黙殺したかもしれませんけど、
向こうも優れた才能を前に、
背に腹は代えられないでしょうしね。
(つづく)